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2015年8月5日水曜日

ワシントンのアルカイダ同盟者が今やリビアでISISの指導者に

以下の文は2015年3月10日にグローバルリサーチに掲載されたエリック・ドレィツアー(Eric Draiser)のWashington’s Al Qaeda Ally Now Leading ISIS in Libya を訳したものです。

米国の同盟者であるアブデルハキム・ベルハジが今やリビアでISISを率いていることが明らかになったが、これは米国のこの国とこの地域全体での政策をずっと観察していたものにとっては何ら驚くに値しない。 このことは米政府が数え切れないほど自分たちが世界中で戦っていると主張しているその勢力そのものに支援と快適さを与えてきたことを示している。

最近の報告書には、アブデルハキム・ベルハジがリビア国内にいるISISの組織司令官の位置に収まっているとある。この情報はベルハジが聖戦過激派の温床として知られるリビア東部のデルナ(Derna)付近のISIS訓練センターの活動を支援し調整していることを確認したある米諜報員(名前は出ていない)によるものだ。

このアル=カイダテロリストからISIS司令官、というのは主要ニュース記事にはならないようだが、実は2011年から米国とそのNATO同盟諸国はベルハジのことを「自由の戦士」として支持してきた。これらの国々は、ベルハジを彼自身を含む多くのリビア・イスラム闘争グループ(LIFG)メンバーを捉え拘留した「非道な独裁者」ガダフィに対し、自由を愛する同志を勇敢に率いて戦う人物としてきた。

ベルハジはリビアでの米国の目的を非常に良く追行したので彼とその追随者たちをヒーローと呼ぶ上院議員ジョン・マッケインから表彰されているのを見ることができる。彼はガダフィが失墜した当初トリポリの軍司令官という地位を見返りに得たが、より政治的に聞こえの良い「暫定政権」に譲ることを余儀なくされた。以降この暫定政権は無秩序状態で戦争に引き裂かれた国で消滅していった。
ベルハジのテロ活動の歴史には、アフガニスタンとイラクでアル=カイダと協力するという「成果」、そしてもちろん、黒人系リビア人と緑の抵抗運動(ガダフィ率いるリビア・アラブ・ジャマヒリヤに忠実な者たち)の一味と疑われた者らの大量殺害となった米国とNATO後援のリビア中での暴力行為に彼が都合よく追従したことが挙げられる。企業メディアはベルハジがCIAの移送プログラムによって拷問を受けたらしきことで彼を殉教者にしようとしているが、彼が行く先々で暴力と流血の結果となることは動かされぬ事実だ。
これらの情報の多くはすでに知られていることであるが、ここで最も重要なのはこのニュースを適切な政治的脈絡の中で見ることである。それによって米国がリビアからシリア、そしてそれ以外の国で過激な武装団の主要な擁護者であり続けており、「穏健派反政府軍」などというのは考えることをしない大衆をだますために作られた巧言にすぎないという明白な事実が浮き彫りにされる。

敵の敵は友...そうでなくなるまでは

ベルハジのアル=カイダとの繋がりと世界各地での彼のテロリストの業績には多くの記録された証拠がある。数々のレポートが彼のアフガニスタンその他各地での戦闘を取り上げているし、彼自身イラクで米兵たちを殺したことを豪語している。しかしベルハジがガダフィとリビアの合法である政府転覆を望む「反乱勢力」の顔となったのは2011年のリビアにおいてである。

ニューヨーク・タイムズのレポートによれば、

  リビア・イスラム闘争グループは1995年にカダフィ大佐を失脚させることを目的に創設された。  リビアの治安部隊に山岳に、または国外に追いやられていたこのグループのメンバーは一番最  初にカダフィ治安部隊との戦いに参加した集団のひとつだ。。。。正式にはこの闘争グループは  もう存在していないが、以前メンバーだった者の多くがアブー・アブドウッラー・サディク(別名 ア  ブドルハキム・ベルハジ)の指揮の下で戦っている。

ということはベルハジは米国とNATOのリビアに対する戦争に参加しただけでなく、最も強力な指導者の一人として対カダフィ戦の最前線で百戦錬磨の聖戦主義集団を率いていたということだ。このことを最もよく物語っているのがリビア・イスラム闘争グループ(LIFG)がバブ・アル=アズィズィヤにあるガダフィ邸の敷地攻撃の先陣を切ったことだ。その際にLIFGは米諜報機関と米軍から情報と、そして多分戦術的支援をも提供されていた。

ベルハジが急激に世界規模の問題として浮上したISISと関連しているというこの新しい情報は、米国とNATOのリビアへの戦争が米諜報局と米軍が公然と、そして暗黙裡に支援したテログループによって戦われてきたという、2011年以来本著者を含む多くのものが主張してきたことを強化するものだ。また、この情報は米国が自国の地政学的目的のために世界中で最も活動的なテロリストの巣窟をどのように利用したかについて光をあてる、近年浮上した他の情報とも合致する。

最近のレポートによれば、ベルハジはデルナのISIS訓練センター支援に直接関わっている。デルナといえば、もちろん、2011年からリビア情勢を追っているものなら良く知っているはずの場所だ。なぜならこの町は「蜂起」の初期から破滅の年2011年までトブルークとベンガジと共に反ガダフィ、テロリストのリクルート中心地であったからだ。デルナはまた、それよりもずっと前から暴力的過激派の拠点として知られていた。

2007年に「イラクにいるアル=カイダの外国人戦闘員:シンジャール記録初調査」と題した主要な研究がウエストポイントの米陸軍士官学校のテロリズム撲滅センターによって行われた。その著者らによれば、
  シンジャール記録の戦闘員のほぼ19パーセントはリビアのみから来ている。さらに、シンジャー  ル記録のサウジアラビアを含めた他のどの国よりもリビアは戦闘員を数多く輩出している。。。
  イラクに渡るリビア補充兵が急増したのはリビア・イスラム闘争グループ(LIFG)がアル=カイダと  協力関係を深めており、2007年11月3日にLIFGが正式にアル=カイダに参加するに至ったこ  とと関係しているようだ。。。戦闘員たちがもっとも多く故郷の町としてあげるのはリビアのダルナ  (デルナ)とサウジアラビアのリヤドで、それぞれ52名と51名の戦闘員がこの二つの町の出身   だ。ダルナ(デルナ)の人口は、リヤドの430万人にくらべ、8万人を少し上回るだけで、シン    ジャール記録の戦闘員の中では町の人口比でとび抜けて高い。

ということは、米軍と諜報界は10年近く(多分それより長く)デルナが直接または間接的にLIFG関係のジハーディストたちに支配されており、この町が中東地域でのテロリズムの主要なリクルート場として機能していたことを知っていたということだ。当然このような情報は、ISIS訓練キャンプがデルナの地で悪名高きベルハジと繋がっていることの地政学的そして戦略的な重要さを理解するためになくてはならないものだ。

このことは我々を3つの相互に関連した同等に重要な結論に導く。第一は、デルナがまたリビアと、言うまでもなく標的であるシリアを含むより広範なこの地域で戦われるテロ戦争の歩兵を供給することになること。第二は、デルナの訓練場は米国と繋がっていることが知られている人物によって支援と調整がなされるということ。そして第三は、米国の「穏健派反乱軍」を支援するという政策は平均的アメリカ人(そして西欧に住む人々一般)に米国はテロリズムを支援していないと思わせるために作られた広報キャンペーンにすぎない。支援しているという反対の証拠がこれだけあるにもかかわらず。

「穏健派反乱軍」の虚構

ベルハジとISISに関するニュースは孤立状態で観察されるものではない。むしろ、「穏健派」が米国にって支援されているという概念は世間一般と政治を観察する人々の知性を侮辱するものであることのさらなる証と見られるべきだ。

3年以上も米政府はシリアのいわゆる穏健派を支援するという政策を喧伝してきた。ひとつの大きな「穏健派」テントの中にはアル=ファルカーン旅団(人食いで有名となった)からハズム(「決意」)まで多種多様なテログループがその時々に巻き入れられてきた。米国のプロパガンダ布教者と各種の戦争煽動者たちには気の毒だが、これらのグループは以来その他の多くのグループと共にヌスラ戦線とISIS/ISILに自主的にまたは強制的に組み込まれている。
最近、もと自由シリア軍の派閥からISISへ大規模な離脱があったという多くの報告がなされた。寝返ったものたちは米国が供給した高度な武器を持ち込んだ。米政府の政策の「看板ボーイ」と相まって、前述のハズムグループも今やシリアでアル=カイダと繋がっているヌスラ戦線の一部となっている。もちろんこれらはISISか、シリアでのアル=カイダ・ブランドのどちらかと提携するたくさんの例の一部に過ぎない。その他ちょっと挙げただけでも、リワー・アル=ファルーク、リワー・アル=クサイル、そしてリワー・アル=トゥルコメンなどがある。

ここで明らかなのは、米国とその同盟諸国が、シリアでの政権を変えるための終なき追求として過激派集団を公然と支援し続け、それらの集団が合体してISIS,ヌスラそしてアル=カイダという地球規模のテロ脅威が形成されたということだ。

しかし、これはなにも新しいことではない。ベルハジの件が議論の余地なく示しているように、以前アル=カイダだった人物が「穏健派」で「トリポリの我々の味方」となり、今やリビアでのISIS脅威のリーダーだ。そしてシリアでは「我々の友達」が我々の敵となった。これらのことで驚くものは誰もいないはずだ。でも多分ジョン・マッケインは彼の長期にわたるベルハジとシリアの「穏健派」との付き合いについて疑問に答えたいのではないか。オバマは彼のリビアへの「人道的介入」がなぜこの国にとって、そしてこの地域全体の人道的悪夢になってしまったのかを説明しないのか?これらの全ての作戦に広範に関わってきたCIAは、誰を実際支援し、この無秩序状態を作り出すのにどのような役割を担ってきたのか一切を白状しないのか?
このような質問が企業メディアの口から発せられるとは思えない。これらの破滅的状況を生むに至った決断を下した米政府の者たちが、これらの問いに答えを与えることもありえないように。だから、企業プロパガンダ集合体の外にいる我々こそが答えを要求し、権力層が我々の声や..真実を抑圧することのないように求めるべきであろう。


Eric Draitser is an independent geopolitical analyst based in New York City, he is the founder of StopImperialism.org and OP-ed columnist for RT, exclusively for the online magazine “New Eastern Outlook”.

2015年7月30日木曜日

米国がシリアとイラクのISIS勃興をどのように煽ったか、事実がついに露呈

以下はガーデイアン(電子版)に2015年6月4日(木)に掲載されたシューマス・ミルンの記事 
'Now the truth emerges: how the US fuelled the rise of Isis in Syria and Iraq' Seumas Milne 4 June 2015
を訳したものです。(アクセス 2015年7月27日)(タイトル訳:投稿題名)
 

この宗教派閥テロ集団は、もともとそれを生み出した西欧諸国によって打ち負かされることはない。




検察側は告訴を放棄したが、これは諜報局を困惑させるのを避ける為であったようだ。英国自体がそのシリアの反政府武装勢力に「広範囲な支援」をしている証拠が山ほどあるのに、この裁判を推し進めることは「正義からの乖離」となるであろうと弁護士は主張した。

それらの支援は政府が誇る「非致死性援助」(防護服や軍用車両を含む)だけでなく、訓練、後方支援そして極秘の「大量の武器」供給をも含む。2012年にガダフィ政権が崩壊した後に、リビアの貯蔵武器をシリアの反乱勢力に移動する「秘密経路」でMI6がCIAと協力していたという報告が引用された。自国の大臣や安全保障当局者自身がやっていることをした罪で誰かを刑務所に送ることのばかばかしさに耐えられなくなったことは明白だ。しかしこれは一連の似たような件の一番最近のものであるに過ぎない。

より運が悪かったのは、この件よりも2週間前に、2007年に英米軍のイラク占領に対する抵抗運動参加したという罪で終身刑を言い渡されたアニス・サルダールというロンドンのタクシードライバーだ。不法な侵略と占領に対する武装反抗がジュネーブ条約などの殆どの定義でテロリズムと殺人に該当しないことは明らかだ。しかしテロリズムは今や全く見る人次第だ。そして中東ほどそれが顕著である場所はない。今日のテロリストは明日の独裁に対する戦士に、そして同盟から敵へ、欧米の政策立案者の電話会議での唖然とするような思いつきに左右されることが多い。

この一年間、米国、英国その他の西欧諸国軍は過激宗派主義テログループ「イスラム国」(以前はイラクのアル=カイダとして知られていた)を破壊する目的を掲げてイラクに戻っている。これはISISがイラクとシリアの領土の広大な領域を制圧し、自称イスラム・カリフを宣言してからだ。しかしこの軍事作戦はうまくいっていない。先月ISISはイラクの都市ラマディになだれ込み、同時に今や存在しない国境の向こう側でシリアの町パルミラを征服した。アル=カイダの公式フランチャイズであるヌスラ戦線もシリアで勢力を増長している。

何人かのイラク人は米国がこれらが起こっているときに何をする気もなかったと不満を述べた。アメリカ人たちは、彼らは一般市民に死傷者を出すことを避けようとしており、顕著な効果があったと主張した。内輪では、当局者たちは宗派間の戦争でスンニ派の拠点を攻撃していると見られることによって湾岸のスンニ派同盟諸国を怒らせるリスクを負いたくないと言っていた。

何故このようになったかが最近機密解除された2012年8月に書かれた秘密諜報レポートによって明るみになった。このレポートは「サラフィスト統治国」が東シリアに、そしてアル=カイダが支配するイスラム国家がシリアとイラクに興る可能性を不気味にも予測しており、それを実質的に歓迎している。当時欧米が主張していたこととは全く異なり、この国防情報局の文書はイラクのアル=カイダ(後にISISとなる)とその仲間のサラフィストが「シリアでの反政府暴動の主動力」として挙げられている。そして「西欧諸国と湾岸諸国、そしてトルコ」が反政府勢力がシリア東部を制圧する動きを支援していると記している。

その国防総省のレポートはさらに、「宣言された、または宣言なしのサラフィスト統治国が打ち立てられる可能性」について提起し、「これこそが正に反対勢力の支援諸国がシーア派拡張(イラクとイラン)の戦略的深層と見なされるシリア政権を孤立させるために望むことである」と続けた。

これは2年後に起こったことと完全に一致している。このレポートは政策文書ではない。かなりの部分が編集されており、言葉も曖昧なところがいくつかあるが、その意味するところは十分にはっきりしている。シリアの反乱が一年経ったころ、米国とその同盟国らは過激な宗派グループに支配されていることがわかっている反対派勢力を支援し、武器を与えていただけでなく、シリアを弱体化させるためのスンニ派の緩衝地帯として、ある種の「イスラム国」設立を容認する用意があったということだ。それがイラクの統一に「重大な危機」をもたらすにもかかわらずである。

このことは米国がISISを創設したという意味ではもちろんないが、副大統領のジョー・バイデンも昨年認めたように、湾岸の同盟諸国が役割を果たしたことは確実だ。しかし、米国と英国が侵攻するまでイラクにアル=カイダは存在していなかった。そして米国は欧米の支配を保つためのより広範な活動の一環としてこの地域でのISISの他の勢力に対峙する存在を悪用したのは確かだ。

この計算はISISが西欧人を斬首し残虐行為をインターネット上に投稿し始め、そして湾岸諸国がシリア戦争においてヌスラ戦線などの別のグループを支援することになったことで変わった。しかし、このように米国と西洋諸国が聖戦主義グループを常用し、それが後で災いとなって戻ってくるパターンは少なくとも1980年代のアフガニスタンでの対ソ連戦争までさかのぼる。このときアル=カイダの原型がCIAの指導のもとに発展した。これはイラク占領下でぺトレイアス大将率いる米軍が、イラクの抵抗を弱めるためにエル・サルバドル型の派閥暗殺部隊による汚い戦争を後援したときに再調整された。そして2011年のNATO主導のリビアでの戦争でも再現された。ここでは先週ガダフィの故郷であるシルテをISISが掌握した。

実際、米国と西欧の現在災禍にある中東での政策は典型的な帝国の分断統治の形である。アメリカ軍はシリアで一組の反乱軍を爆撃すると同時に別の反乱軍を支援し、イラクではイランとISISに対する実質的な共同軍事作戦を行い、イエメンではイランに後援されているホーシ勢力に対するサウジアラビアの軍事作戦を支援している。たとえ米国の政策が往々にして混乱しているとしても、弱体化し、分割されたイラクとシリアは、このようなやり方に完全に一致しているのだ。

ここで明らかなのは、ISISとその怪物たちは彼らをイラクとシリアに最初にもたらし、また、それ以来公の、または極秘の戦争を起こしてISISを増長させてきたその同じ列強国によって打ち負かされることはないということだ。西欧の終わりのない中東への軍事介入は破壊と分断のみをもたらした。この病を癒すことができるのは、この地域に住む人々であって、そのウィルスを培養した者ではない。

2015年2月9日月曜日

有罪判決を受けた犯罪者がシリアで「自由の戦士」に:サウジ、パキスタン、イラクの囚人がアルカイダ兵団につぎ込まれている

以下はグローバルリサーチに2015年2月8日(2014年2月16日の記事を再掲載)のミシェル・チョスドフスキー教授による文章を訳したものです。

Convicted Criminals Serve as “Freedom Fighters” in Syria: Saudi, Pakistani and Iraqi Prison Inmates Replenish Al Qaeda Ranks

http://www.globalresearch.ca/convicted-criminals-serve-as-freedom-fighters-in-syria-saudi-pakistani-and-iraqi-prison-inmates-replenish-al-qaeda-ranks/5369055 (アクセス 2015年2月8日)


この文章は最初2014年2月16日に掲載された。

イラクで数百の有罪判決を受けた犯罪者らが警備の行き届いた刑務所から逃亡し、最近イラクとシリアのイスラム国(ISIS)とアルカイダ系反乱勢力のヌスラ戦線に参加した。

ニューヨークタイムス(NYT)によると、「この脱獄は武装グループ、特にイラクとシリアのイスラム国(ISIS)が熟練した戦闘員への需要を急激に増していることを反映している。そのような戦闘員が大勢ひとところに集められているところ、といえばイラクの囚人部屋だ。」(テイム・アランゴ、エリック・シュミット, イラクから逃亡した囚人がシリア反乱を激化させている、NYT, 2014年2月12日):

「米当局者は数百名の脱獄囚がイラクとシリアのイスラム国に参加し、その中の数名が上位の指導的地位に着いているとみている。」

ニューヨークタイムスで認められているように、脱獄囚はシリア反乱軍で戦うジハーディスト補充の一部をなしている。しかしここで触れられていないのは、その傭兵動員の調整がNATO、トルコ、サウジアラビア、カタールによってオバマ政権に支援されてつつ行われている、ということだ。

それだけでなく、殆どのアルカイダ系武装勢力はCIA、モサド、英国のMI6を含む西欧の情報機関に極秘で援助されていることは知られており記録もされている。

イラクでの脱獄は2012年7月にISISが立ち上げて「壁破壊作戦」と名づけた企画活動の一部である。ニューヨークタイムズで引用されたテロ対策担当官が認めたように、「集団で数十年の実戦経験を持つこれらのテロリストがなだれ込んだことがこの武装団を強め、指導者層も増した模様だ。」

それらの刑務所にいた米駐留軍と軍関係者はこの脱獄を見て見ぬふりをした。

アブーアイシャは初め米側に逮捕され、その後2008年にイラク南部にある悪名高い米監獄、ブッカ収容所から釈放された。彼は2010年にイラク側に再逮捕された。「ついにアブ・ガリブに入れられた。そこでは自分の知っているアルカイダの王子たちを含むイラク人、アラブ人そして他の国からの指導者や戦闘員たちと再会した。」と彼は述べた。「それらの殆どはブッカにもいたことがある。」
昨年の夏のある夜、アブー・アイシャが彼の独房で他の日と同じようにその日も処刑される日を待っていた。そのとき爆発と銃声が起こり、よく知っている看守が彼の独房のドアを開け、直ちに出て行けと告げた。アブー・アイシャは他の数百の者らと監獄の通路を走りぬけ、 壁に爆破によって作ってあった穴を抜けて逃げた。待っていたKIAトラックに飛び乗って自由の身となり、そして戦場に戻された。イラクとシリアのイスラム国(ISIS)のリーダーたちは彼に選択肢を与えた。ここを去って彼らとシリアで戦うかとどまってイラクで戦うかだ、とアブー・アイシャは述べた。(上記NYTから抜粋。強調は著者による)


企画調整されたプログラム:サウジアラビア


最近の脱獄は注意深く計画された米軍とイラク監獄職員の共謀を必要とする極秘作戦 の特徴を備えている。脱獄はイラクに限ったことではない。聖戦主義反乱軍に加わるための計画的脱獄はいくつかの国々で同時に起こっており、企画調整された人員動員プログラムが存在することを示している。

サウジアラビアは米政府に代わってこれらの聖戦主義者らに武器(対空ミサイルを含む)を流す中心的な役を担っており、王国の監獄からの傭兵リクルートにも積極的に関わってきた。

ただ、サウジアラビアでは脱獄は行われない。刑に服している犯罪者らはシリアでの聖戦に加わることを条件に王国の刑務所から釈放される。サウジアラビアの内務省から送られた極秘覚書は「斬首による処刑を言い渡された死刑囚らが減刑と引き換えに、シリア政府に対する聖戦を行うためにシリアに送られたことを暴露した。」

2012年4月17日の覚書によれば、サウジアラビアは「シリアで聖戦をするための訓練」と引き換えに「完全赦免と王国にとどまる家族への月給を提供」して1200もの囚人をリクルートした。

サウジアラビアの刑務所から釈放されてリクルートされたものにはイエメン、パレスチナ、サウジアラビア、スーダン、シリア、ヨルダン、ソマリア、アフガニスタン、エジプト、パキスタン、イラク、クエートからの囚人がいる。

「有罪判決を受けた犯罪者」から「自由の戦士」へ
欧米の軍事同盟はテロリスト反乱軍を支援し、資金を与えているだけではなく高性能兵器システムも供給しており、そしてまた有罪判決を受けた犯罪者のリクルートにも加担している。

問題は脱獄・釈放、傭兵リクルート、「自由戦士」の訓練、そして反乱軍への兵器の調達と配送を含む連続した段取りが組まれていることだ。

1.有罪判決を受けた犯罪者と戦闘員の刑務所からの釈放または逃亡
2.釈放・逃亡した囚人をシリア反乱軍編隊に補充
3.釈放・逃亡した囚人に適切な準軍事訓練。例:サウジとカタールでのトレーニングプログラムには 宗教教化も含まれている。
4.新たに訓練された聖戦主義反乱軍兵士を戦場に派遣する。もと囚人らはシリアに送られて反乱軍に加わる。彼らは傭兵としてアルカイダ系の軍のひとつに組み込まれる。
5.新たに訓練された傭兵を軍事装備(サウジアラビア、トルコ、カタールなど)し、武器注入に資金を出している米政府に代わって反乱軍に軍用装備品を調達し配送する

囚人の反乱軍補充は進行中のプロセスの一部

2013年夏にリビア、パキスタン、イラクで起こった脱獄 は注意深く企画調整されたプログラムに見える。NYTで報告されたものはそれ以前の脱獄プロジェクトの延長である。

2013年7月23日にアブグレイブとタジ刑務所が綿密に行われた作戦によって侵入され、500人から1000人の囚人が逃亡した。それらのほとんどはISISの編隊に補充された。

その攻撃はイラクとレバントのイスラム国のために数ヶ月の準備後に実行に移された模様だ。このグループはシリアとイラクでアルカイダ系のグループが統合されたものだ。500人から1000人の囚人がこの襲撃によって逃亡し、「その殆どが有罪判決を受けたアルカイダの上層メンバーで死刑判決を受けていたものだ、」と議会の安全と防衛委員会の上級メンバーのハキム・ザミリは述べた。日曜の夜バグダッドの郊外で自爆攻撃者らが爆発物を積んだ車で刑務所の門に侵入し、同時に武装した男たちが耐火モルタルと携行式ロケット弾で看守を攻撃した。(ロシア・トゥデイ、2013年)

7月26日土曜日リビアのベンガジにある重警備刑務所でイラクで起こったものと殆ど同じ脱獄が起こった。

刑務所内で暴動があり、火が放たれた。突然武装した男らが刑務所の上に群がり、発砲した。約1200人のリビアで最も凶悪な囚人が逃亡した。(ペレグリノ・ブリマー、オバマのシリアでの終盤戦:新しいアルカイダの「採用人員」がシリアに派遣、グローバルリサーチ、2013年9月4日、強調は著者による)

そして7月29日から30日にかけて夜中:

ロケット発射装置を持ったタリバンの武装した男たちと警察のユニフォームを着た自爆攻撃者たちがパキスタン南部の州にあるデラ・イスマイル・カーン最大の刑務所を攻撃し、300人以上の囚人が解き放たれた。携行式ロケット弾を持ち、よく統制が取れていた。彼らはタリバンの最も凶暴な人物を含む過激派の最高位の者らを解放した。彼らは拡声器を使って必要とする人物の名前を告知した。職員(ロイター)によれば、この破滅的な夜、当番の看守200人中たった70人しか職場にいなかった。このことはより高レベルでの保安と政府の関与を暗示している。(強調は著者による)


2015年1月27日火曜日

米国はISILに寝返るであろう5000人に上る戦闘員を養成している

以下はオンライン誌ニュー・イースターン・アウトルックに2015年1月16日に掲載されたトニー・カルタルッチの US is Preparing up to 5k Militants That Would Flee to ISILの訳です。

Tony Cartalucci
First appeared:
http://journal-neo.org/2015/01/16/us-is-preparing-up-to-5k-militants-that-would-flee-to-isil/

16.01.2015 (アクセス1月24日)




近頃欧米のメデイアの片隅に、3000人あまりの自由シリア軍「穏健派反政府勢力」 が「イスラム国」(ISIS)に寝返ったという報道があった。いわゆる「穏健派」が公然とアルカイダまたはISISに転向するのはこれが初めてではないが、今回のはいままであったなかでも特に規模が大きいもののひとつだ。


サウジアラビア、カタール、アメリカ、イギリス、そして中でもとりわけ皮肉なのは最近テロ攻撃のあったフランスらによってこれらの3000人に与えられてき た武器、現金、装備そして訓練が彼らと共に「イスラム国」に渡ることとなる。この裏で行われている「テロ・ローンダリング」ネットワークの規模は大きくな る一方であり、ISISとアルカイダの兵員数は膨張し続けているのだ。

こ の陰謀はピューリッツァー賞を受賞したセイモア・ハーシュの2007年の記事「方向転化:政府の新しい方針は対テロ戦争で敵を利するものか(The Redirection: Is the Afdministration's new policy benefiting our enemies in the war on terrorism?)」によって暴露されて人々の知るところとなった。この記事は米国とその地域の同盟国らがアルカイダや他の過激派を使ってイラン、シ リアそしてレバノンのヒズボッラーへの代理戦争を仕掛けようとしているというものだ。この陰謀は現在ISISという形で明らかに具現されている。ISIS に対する見せ掛けの軍事作戦で主にシリアの石油施設を標的にしているが、ISISの兵力の真の源であるNATO領域内のトルコは無傷のままで放っておかれている。さらに、大量の現金、武器そして援助物資がいわゆる「穏健派」が御旗の下に移行することによってISIS兵団になだれ込んでいる。

こ の旅団規模の離脱が起こる前に、その他のいくつかの「審査された穏健派の反乱軍」グループ、特に米国から武器を供与されたものらは公にアルカイダに忠誠を 誓っていた。最も悪名高き事件は、米国から対戦車TOWミサイルを供与されていたテログループのハラカット・ハズムがアルカイダのシリアでのフランチャイ ズで米国務省が外国テロ団体のリストに乗せているアル・ヌスラに公に忠誠を誓ったことだ。

アル・ヌスラはTOWミサイルを手中に収めシリアのイドリブ県での成功裏に終わった軍事作戦でそれを使用したとされている。

デイリービーストは2014年9月の記事「アルカイダのシリアでの策謀者が’失踪’と米スパイ述べる(Al Qaeda Plotters in Syria 'Went Dark,' U.S. Spies Say)」で以下の報告をした。

以前米国に支援を受けていたシリア反乱軍のひとつは火曜日の空爆を非難した。春に米国から対戦車兵器の積荷を受け取った反乱軍ハラカット・ハズムはその空爆 を「国家主権への攻撃」と言い、外国が主導する攻撃はアサド政権を強化するだけだと非難した。この声明はインターネット上で流布されたグループのものとさ れる文書に基づいており、シリア紛争モニターというトゥイッターアカウントにその英訳が投稿されている。ブルッキングスのドーハセンター、チャールス・ リスターなどのシリア専門家数人は、この文書が本物と信じている。

こ の正式な声明がなされる以前にハラカット・ハズムには米国のパートナーという役割と相克をきたす同盟関係をシリアで結んでいた形跡がある。9月の初旬にハ ラカット・ハズムの要員はL.A.タイムス紙のレポーターに、「シリア内では我々は世俗主義者というラベルを貼られ、ヌスラ戦線が我々に戦闘を仕掛けてく ることを恐れているとされている..しかしヌスラが我々と戦うことはない。実際、我々は彼らと共に戦っているのだ。我々はヌスラが好きだ。」と語った。 (デイリービースト紙)
  
このグループは後、欧米の新聞でアルカイダに「降伏した」と報告された。インターナショナル・ビジネスタイム紙は「シリア:アル・ヌスラ聖戦主義者らが’米国のTOW対戦車ミサイル’を穏健派反体制勢力から捕獲」という記事の中で次のように述べた。

米国がシリアの穏健派に供与した武器は、対抗するグループ間(穏健派とアルカイダと連携する聖戦主義過激派)の衝突後に後者の手に落ちたと懸念される。

アル・ヌスラ戦線のイスラム主義戦闘員は、その週末、米国が支援するシリア革命戦線(SFR)とハラカット・ハズムを完敗させて、イドリブ県のジャバル・アル・ザウィヤの広大な領土を掌握した、と活動家は述べた。


米政府はSFRとハラカット・ハズムがISIS(イスラム国)過激派にシリアの地上で対抗し、米の空爆を補足することに依存していた。(インターナショナルビジネス紙)  
                                                           
しかしハラカット・ハズムの「降伏」は明らかに、アル・ヌスラとの強まる同盟関係の単なる仕上げでしかない。

米国はまた別の旅団をISISのために準備

「穏健派」がISIS兵団に加わることが避けられない運命のように見え、米国の兵器がアルカイダの手に落ち、全旅団規模の離脱が行われているときに、世間が最 も考えられないと思うのは米国がまた別の旅団サイズの軍団に武器を与え、資金を供給し、訓練を行ってからシリア国内で野放しにすることではないだろうか。 しかし、それこそが米国が計画していることなのだ。

スターズ・アンド・ストライプ(星条旗)紙は「米国がシリアの反乱軍をトルコで訓練するという合意に達した(Agreement reached for US to train Syrian rebels in Turkey)」という記事で以下の報告をした。

当局者は、初期段階の訓練で約一年内に5000人の熟練した自由シリア軍兵士を養成すると述べた。サウジアラビアは9月に、シリアとイラクの領域を支配しているイスラム国武装勢力と戦う米国の戦略を支援するために穏健派シリア反乱軍の訓練を主催することに同意した。

米国の自由シリア軍への支援は米国がシリアでより大きな介入をすることを支持する者たちから、とぎれとぎれであることを批判されてきた。そしてここ数週間で自由シリア軍は他の反乱軍でアルカイダと連携するヌスラ戦線の兵員に侵略され基地から追放されて敗北を喫した。

ただ、この「自由シリア軍」は先ほども記したように、アル・ヌスラに侵略されて追放されたのではなく、これらのグループの多くは長期にわたって続いているアルカイダ下部組織との同盟の一部をなしており、欧米からの武器、現金、訓練ごと持っていったことで、それが単に公になっただけだ。
米国が説得力のある反証を提示することは、2007年の時点ですでにアメリカがアルカイダを代理軍隊として使用することを望んでいたと暴露され、知られていること から不可能である。ハラカット・ハズムが米国の供与した対戦車TOWミサイルをアルカイダに受け渡し、今やいわゆる「自由シリア軍」戦闘員が旅団丸ごと規 模でISISに転向する。アメリカがこの春から訓練を始める予定の新しい旅団には「大惨事」以外に何が降りかかるというのだろうか。

こ れらの戦闘員たち、そして彼らの援助物資と武器は不可避的にISISとアル・ヌスラの御旗のもとに集結されることになる。テロリズムがシリアで増大してい るのはISISが油田と人質の身代金を支配しているからではない。それは米国とそのパートナーらが意図的に何千もの訓練された戦闘員と兵器と何十億ドルも の現金と装備品その他の援助物資をその胃袋に流し込み続けているからだ。

こ れらのテロリストがヨーロッパとアメリカに浸透し始めれば、シリアでのこの巨大なテロリスト事業を意図的に作り出すことに加担した利害関係を同じくする 面々は、自国にある残り少ない文明が廃絶されることを嘆くだろう。彼らが他国で狡猾にそして意図的に文明を破壊したあとで。

2014年6月21日土曜日

ガダフィは抗議者を殺せという命令などしていない

以下はウィキスプークスのムアンマール・ガダフィのページ
GADDAFI 'DID NOT KILL PROTESTERS' の訳です。
(https://wikispooks.com/wiki/Muammar_Gaddafi#Gaddafi_.27did_not_kill_protesters.27)

ガダフィは「抗議者を殺さなかった」

2014年5月に報道されたBSニュース「ガダフィは抗議者たちを殺していない、リビアの虚偽の革命代表が認める」という見出しの記事で、ベンガジの
国民暫定評議会(NTC) 議長ムスタファ・アブドル・ジャリルが2011年に以下の点を認めたとある。


「ガダフィ大佐はリビアの虚偽の革命の引き金となった銃撃を命令していない。リビアが崩壊した現在、ジャリルはリビアのチャンネル・ワンで、国連とNATOのリビア攻撃理由となったベンガジでの抗議者殺害は、リビア人ではないスパイや傭兵グループによるものだったことを世界に認めた。彼はその時点で事実を知っていたが、リビア政府を倒し、国家を分断させるためにそれが行われたことを認めた。彼は事前にこのことが起きるという説明を受けていた。そしてリビアの人々は死んだ抗議者らの身元を確認することができなかった。なぜなら彼らは民間人の服を着ており、リビア人の親族も友人もいなかったので葬儀にはだれも来なかったからだ。」

私たちが2011年の2月から主張しているように、いわゆるリビア革命は敵[第三者]になりすまして行われる軍事作戦であった。リビアの人々の大多数は幸福で「安全」であったのだ。イスラム教原理主義団体はリビアでは違法であった。いまやリビアはイスラム教原理主義者団体によって支配されている (アル・カイダ、リビア・イスラム闘争グループ、ムスリム同胞団、アンサル・アル・シャリア その他)。国は崩壊し、安全保障は存在せず、数千人が違法に刑務所に入れられ、数百人が拷問によって死亡した。政府はなく、石油の販売もなく、2百万人が亡命している。精神病質者が国家をのっとっていて国境も政府もない「グレー国家」とみなされるに至った。

というわけで、バラク・オバマ、CIA, デイビッド・キャメロン、NATOそして国連の皆様方、
リビアの無辜の市民を守ってくれなくて感謝の言葉もございません。

2013年12月26日木曜日

パンナム103便爆破事件(ロッカビー事件)25周年追悼式

1988年12月21日にヒースロー空港を離陸してニューヨークに向かうパンナム103便がスコットランド地方のロッカビー上空で爆破し乗員乗客全員259名とロッカビー住人11名が死亡したこの事件からすでに25年が過ぎた。先週土曜日12月21日には追悼式典がロッカビー、アメリカのワシントンDC近辺のアーリントン国立墓地そしてロンドンのウェストミンスター寺院で行われた。

被害者の多くはクリスマス前に帰郷するアメリカ人であった。アメリカ側の被害者遺族の多くがスコットランド法に基づく特別法廷で2001年に有罪判決を受けたリビアのアブデルバセット・アル・メグラヒの犯行という公式の見解を受け入れているのに対してイギリス側の被害者遺族のなかにはこれに異を唱えるものがいる。その代表は娘のフローラ(当時23歳)を喪った医師のジム・スワイア氏である。

ウェストミンスター寺院で追悼の辞を述べたスワイア氏はこの悲劇の真相は未だに明らかにされておらず、アメリカとイギリス政府がこの事件について持っている情報の全てを公開することを要求している。有罪判決を受けたメグラヒは終身刑を言い渡され、2009年に末期の前立腺がんを患っていることから人道的措置として釈放され、リビアで昨年5月に亡くなった。このリビアへの身柄引き渡しはメグラヒが控訴を取り下げたことによって可能になった。メグラヒと面談したこともあるスワイア氏は彼の無実を確信しており、彼が亡くなった時点では友人と呼べる存在であったと述べた。

スワイア氏はイギリス政府による公式調査を要求し続けているが25年たってもこの要求が通らないようならば欧州裁判所に自国政府が人権法の規定する義務を怠ったとして訴えることも考慮していると語った。また、メグラヒの家族とスワイア氏を初めとするロッカビー活動家は、メグラヒ有罪判決に対する死後控訴の可能性も探っており、2014年にスコットランド刑事事件再審委員会(SCCRC)に控訴申請をする予定である。

もしこれが許可されればメグラヒにとって3度目の控訴審となる。2001年の判決ではフランクフルトからロンドンへ向かう(パンナム103便への)フィーダー便にメグラヒがマルタでスーツケースの中の爆発物を積み込んだとされているが、スワイア氏らはこれはヒースロー空港で積荷されたものだと主張している。

(スコッツマン紙 2013年12月18日より)
http://www.scotsman.com/news/scotland/top-stories/lockerbie-campaigners-to-launch-new-megrahi-appeal-1-3236964



2013年12月22日日曜日

追悼 元国際ルワンダ戦犯法廷調査官マイケル・ホーリガン氏逝く

南オーストラリア州アデレードの弁護士マイケル・ホーリガン氏が12月の初めに脳溢血によって55歳の若さで亡くなった。ホーリガン氏はルワンダでの戦争犯罪、イラクのアブグレイブ刑務所での虐待事件そしてルーマニアでの児童奴隷について調査を行うなど国際人権活動家として優れた業績を持つ。そのなかでも特筆すべきは、ルワンダ虐殺の引き金となったといわれる94年4月6日のロケットミサイルによる大統領搭乗機の撃墜に関する捜査であろう。

アデレードで警察刑事、そして公訴局長官(検察局)検察官の職を経て1996年に国際ルワンダ戦犯法廷(ICTR)調査員に就任。ルワンダに到着後20人のメンバーを持つ「国内チーム」のリーダーとなった。この法廷の調査対象期間は1994年の1月1日から12月31日であり、当時の検察長官リチャード・ゴールドストーンらの指示でチームの捜査は以下の点に焦点を置くとされた。
1.セオネステ・バゴソラ大佐の犯罪行為
2.アナトール・ンセンギユムヴァ大佐の犯罪行為
3.虐殺初期に大統領府が行った数千人に及ぶルワンダ人エリートの殺害
4.1994年4月6日の飛行機撃墜で大統領ハビヤリマナその他搭乗者が死亡した事件

1997年初旬にナショナルチームは3人の情報提供者(元または現ルワンダ愛国戦線のメンバー)が直接ハビヤリマナ大統領の乗る飛行機のロケット弾による攻撃に関与したという証言を得た。彼らの証拠はカガメ大統領とその政権・軍の人員が直接この件に関与したことを明示していた。これらの情報提供者はまた、カガメ政権が国外に住むの著名なルワンダ人を暗殺する極秘作戦を行っているとも述べた。そのような暗殺標的となった例として元内政大臣のセス・セダションガの名が挙げられた。

 
   
このような機密情報を得たホーリガンは直ちに指揮官のジム・リヨンに報告すると同時にヘイグにいるルイーズ・アルブール検察長官に米大使館の(盗聴防止コード化)電話を使って詳しく報告した。(アルブール判事はゴールドストーン判事の後任として96年9月に検察長官に就任。ヘイグの旧ユーゴスラビア戦犯法廷の検察長官も兼ねていた。)アルブール判事は大統領飛行機撃墜捜査に大きな展開があったことを喜んでいるようであった。

その翌週ホーリガンはヘイグに飛んでアルブール判事と直接会談し、国内チーム調査覚書としてその機密情報を提出した。アルブール判事は電話で話したときとは違って情報源とその信憑性について疑問を呈した後、国内チームが大統領撃墜捜査を打ち切ることを命じた。チームの任務は虐殺について捜査することであり、それは飛行機墜落の「後に」始まったので墜落事件はチームの任務外だ、というのがその理由だった。

この発言にショックを受けたホーリガンは法廷の対象期間が94年のすべてをカバーすることや、法廷規約に「テロリズム」と「殺人」に関する条項があること、そしてなによりも、以前彼がアルブール判事にチームの捜査状況を説明したときにいちども飛行機撃墜が任務外であると言われなかったことを訴えた。

アルブール判事は、(国内チームに)飛行機撃墜の捜査を終わらせる指示をする彼女の権威に異議があるのかときつい調子で尋ねた。ホーリガンは彼女の権威に疑問があるのではなく判断に疑問をもったのだと言い、彼は判事に仕える身であってその指示に従うと述べた。

キガリに戻って少ししてからホーリガンは国際ルアンダ戦犯法廷の仕事を辞任した。国内チームはそれによって解散し、飛行機撃墜の捜査は打ち切りとなった。

ホーリガンは、国連の幹部または外部の誰かがアルブール検察長官に圧力をかけて大統領機撃墜の捜査を終わらせたのではないか、と2006年の宣誓口述書で述べている。
http://www.theage.com.au/articles/2007/02/09/1170524298439.html


彼の死はジャーナリストのアン・ギャリソンとロビン・フィルポットが追悼文を出した以外オーストラリアのタブロイド紙が二週間後に死亡記事を載たくらいで殆どメデイアで取り上げられていない。http://www.anngarrison.com/audio/2013/12/09/477/Legacies-Michael-Hourigan-and-the-ICTR