以下はガーデイアン(電子版)に2015年6月4日(木)に掲載されたシューマス・ミルンの記事
'Now the truth emerges: how the US fuelled the rise of Isis in Syria and Iraq' Seumas Milne 4 June 2015
を訳したものです。(アクセス 2015年7月27日)(タイトル訳:投稿題名)
この宗教派閥テロ集団は、もともとそれを生み出した西欧諸国によって打ち負かされることはない。
検察側は告訴を放棄したが、これは諜報局を困惑させるのを避ける為であったようだ。英国自体がそのシリアの反政府武装勢力に「広範囲な支援」をしている証拠が山ほどあるのに、この裁判を推し進めることは「正義からの乖離」となるであろうと弁護士は主張した。
それらの支援は政府が誇る「非致死性援助」(防護服や軍用車両を含む)だけでなく、訓練、後方支援そして極秘の「大量の武器」供給をも含む。2012年にガダフィ政権が崩壊した後に、リビアの貯蔵武器をシリアの反乱勢力に移動する「秘密経路」でMI6がCIAと協力していたという報告が引用された。自国の大臣や安全保障当局者自身がやっていることをした罪で誰かを刑務所に送ることのばかばかしさに耐えられなくなったことは明白だ。しかしこれは一連の似たような件の一番最近のものであるに過ぎない。
より運が悪かったのは、この件よりも2週間前に、2007年に英米軍のイラク占領に対する抵抗運動参加したという罪で終身刑を言い渡されたアニス・サルダールというロンドンのタクシードライバーだ。不法な侵略と占領に対する武装反抗がジュネーブ条約などの殆どの定義でテロリズムと殺人に該当しないことは明らかだ。しかしテロリズムは今や全く見る人次第だ。そして中東ほどそれが顕著である場所はない。今日のテロリストは明日の独裁に対する戦士に、そして同盟から敵へ、欧米の政策立案者の電話会議での唖然とするような思いつきに左右されることが多い。
この一年間、米国、英国その他の西欧諸国軍は過激宗派主義テログループ「イスラム国」(以前はイラクのアル=カイダとして知られていた)を破壊する目的を掲げてイラクに戻っている。これはISISがイラクとシリアの領土の広大な領域を制圧し、自称イスラム・カリフを宣言してからだ。しかしこの軍事作戦はうまくいっていない。先月ISISはイラクの都市ラマディになだれ込み、同時に今や存在しない国境の向こう側でシリアの町パルミラを征服した。アル=カイダの公式フランチャイズであるヌスラ戦線もシリアで勢力を増長している。
何人かのイラク人は米国がこれらが起こっているときに何をする気もなかったと不満を述べた。アメリカ人たちは、彼らは一般市民に死傷者を出すことを避けようとしており、顕著な効果があったと主張した。内輪では、当局者たちは宗派間の戦争でスンニ派の拠点を攻撃していると見られることによって湾岸のスンニ派同盟諸国を怒らせるリスクを負いたくないと言っていた。
何故このようになったかが最近機密解除された2012年8月に書かれた秘密諜報レポートによって明るみになった。このレポートは「サラフィスト統治国」が東シリアに、そしてアル=カイダが支配するイスラム国家がシリアとイラクに興る可能性を不気味にも予測しており、それを実質的に歓迎している。当時欧米が主張していたこととは全く異なり、この国防情報局の文書はイラクのアル=カイダ(後にISISとなる)とその仲間のサラフィストが「シリアでの反政府暴動の主動力」として挙げられている。そして「西欧諸国と湾岸諸国、そしてトルコ」が反政府勢力がシリア東部を制圧する動きを支援していると記している。
その国防総省のレポートはさらに、「宣言された、または宣言なしのサラフィスト統治国が打ち立てられる可能性」について提起し、「これこそが正に反対勢力の支援諸国がシーア派拡張(イラクとイラン)の戦略的深層と見なされるシリア政権を孤立させるために望むことである」と続けた。
これは2年後に起こったことと完全に一致している。このレポートは政策文書ではない。かなりの部分が編集されており、言葉も曖昧なところがいくつかあるが、その意味するところは十分にはっきりしている。シリアの反乱が一年経ったころ、米国とその同盟国らは過激な宗派グループに支配されていることがわかっている反対派勢力を支援し、武器を与えていただけでなく、シリアを弱体化させるためのスンニ派の緩衝地帯として、ある種の「イスラム国」設立を容認する用意があったということだ。それがイラクの統一に「重大な危機」をもたらすにもかかわらずである。
このことは米国がISISを創設したという意味ではもちろんないが、副大統領のジョー・バイデンも昨年認めたように、湾岸の同盟諸国が役割を果たしたことは確実だ。しかし、米国と英国が侵攻するまでイラクにアル=カイダは存在していなかった。そして米国は欧米の支配を保つためのより広範な活動の一環としてこの地域でのISISの他の勢力に対峙する存在を悪用したのは確かだ。
この計算はISISが西欧人を斬首し残虐行為をインターネット上に投稿し始め、そして湾岸諸国がシリア戦争においてヌスラ戦線などの別のグループを支援することになったことで変わった。しかし、このように米国と西洋諸国が聖戦主義グループを常用し、それが後で災いとなって戻ってくるパターンは少なくとも1980年代のアフガニスタンでの対ソ連戦争までさかのぼる。このときアル=カイダの原型がCIAの指導のもとに発展した。これはイラク占領下でぺトレイアス大将率いる米軍が、イラクの抵抗を弱めるためにエル・サルバドル型の派閥暗殺部隊による汚い戦争を後援したときに再調整された。そして2011年のNATO主導のリビアでの戦争でも再現された。ここでは先週ガダフィの故郷であるシルテをISISが掌握した。
実際、米国と西欧の現在災禍にある中東での政策は典型的な帝国の分断統治の形である。アメリカ軍はシリアで一組の反乱軍を爆撃すると同時に別の反乱軍を支援し、イラクではイランとISISに対する実質的な共同軍事作戦を行い、イエメンではイランに後援されているホーシ勢力に対するサウジアラビアの軍事作戦を支援している。たとえ米国の政策が往々にして混乱しているとしても、弱体化し、分割されたイラクとシリアは、このようなやり方に完全に一致しているのだ。
ここで明らかなのは、ISISとその怪物たちは彼らをイラクとシリアに最初にもたらし、また、それ以来公の、または極秘の戦争を起こしてISISを増長させてきたその同じ列強国によって打ち負かされることはないということだ。西欧の終わりのない中東への軍事介入は破壊と分断のみをもたらした。この病を癒すことができるのは、この地域に住む人々であって、そのウィルスを培養した者ではない。
それらの支援は政府が誇る「非致死性援助」(防護服や軍用車両を含む)だけでなく、訓練、後方支援そして極秘の「大量の武器」供給をも含む。2012年にガダフィ政権が崩壊した後に、リビアの貯蔵武器をシリアの反乱勢力に移動する「秘密経路」でMI6がCIAと協力していたという報告が引用された。自国の大臣や安全保障当局者自身がやっていることをした罪で誰かを刑務所に送ることのばかばかしさに耐えられなくなったことは明白だ。しかしこれは一連の似たような件の一番最近のものであるに過ぎない。
より運が悪かったのは、この件よりも2週間前に、2007年に英米軍のイラク占領に対する抵抗運動参加したという罪で終身刑を言い渡されたアニス・サルダールというロンドンのタクシードライバーだ。不法な侵略と占領に対する武装反抗がジュネーブ条約などの殆どの定義でテロリズムと殺人に該当しないことは明らかだ。しかしテロリズムは今や全く見る人次第だ。そして中東ほどそれが顕著である場所はない。今日のテロリストは明日の独裁に対する戦士に、そして同盟から敵へ、欧米の政策立案者の電話会議での唖然とするような思いつきに左右されることが多い。
この一年間、米国、英国その他の西欧諸国軍は過激宗派主義テログループ「イスラム国」(以前はイラクのアル=カイダとして知られていた)を破壊する目的を掲げてイラクに戻っている。これはISISがイラクとシリアの領土の広大な領域を制圧し、自称イスラム・カリフを宣言してからだ。しかしこの軍事作戦はうまくいっていない。先月ISISはイラクの都市ラマディになだれ込み、同時に今や存在しない国境の向こう側でシリアの町パルミラを征服した。アル=カイダの公式フランチャイズであるヌスラ戦線もシリアで勢力を増長している。
何人かのイラク人は米国がこれらが起こっているときに何をする気もなかったと不満を述べた。アメリカ人たちは、彼らは一般市民に死傷者を出すことを避けようとしており、顕著な効果があったと主張した。内輪では、当局者たちは宗派間の戦争でスンニ派の拠点を攻撃していると見られることによって湾岸のスンニ派同盟諸国を怒らせるリスクを負いたくないと言っていた。
その国防総省のレポートはさらに、「宣言された、または宣言なしのサラフィスト統治国が打ち立てられる可能性」について提起し、「これこそが正に反対勢力の支援諸国がシーア派拡張(イラクとイラン)の戦略的深層と見なされるシリア政権を孤立させるために望むことである」と続けた。
これは2年後に起こったことと完全に一致している。このレポートは政策文書ではない。かなりの部分が編集されており、言葉も曖昧なところがいくつかあるが、その意味するところは十分にはっきりしている。シリアの反乱が一年経ったころ、米国とその同盟国らは過激な宗派グループに支配されていることがわかっている反対派勢力を支援し、武器を与えていただけでなく、シリアを弱体化させるためのスンニ派の緩衝地帯として、ある種の「イスラム国」設立を容認する用意があったということだ。それがイラクの統一に「重大な危機」をもたらすにもかかわらずである。
このことは米国がISISを創設したという意味ではもちろんないが、副大統領のジョー・バイデンも昨年認めたように、湾岸の同盟諸国が役割を果たしたことは確実だ。しかし、米国と英国が侵攻するまでイラクにアル=カイダは存在していなかった。そして米国は欧米の支配を保つためのより広範な活動の一環としてこの地域でのISISの他の勢力に対峙する存在を悪用したのは確かだ。
この計算はISISが西欧人を斬首し残虐行為をインターネット上に投稿し始め、そして湾岸諸国がシリア戦争においてヌスラ戦線などの別のグループを支援することになったことで変わった。しかし、このように米国と西洋諸国が聖戦主義グループを常用し、それが後で災いとなって戻ってくるパターンは少なくとも1980年代のアフガニスタンでの対ソ連戦争までさかのぼる。このときアル=カイダの原型がCIAの指導のもとに発展した。これはイラク占領下でぺトレイアス大将率いる米軍が、イラクの抵抗を弱めるためにエル・サルバドル型の派閥暗殺部隊による汚い戦争を後援したときに再調整された。そして2011年のNATO主導のリビアでの戦争でも再現された。ここでは先週ガダフィの故郷であるシルテをISISが掌握した。
実際、米国と西欧の現在災禍にある中東での政策は典型的な帝国の分断統治の形である。アメリカ軍はシリアで一組の反乱軍を爆撃すると同時に別の反乱軍を支援し、イラクではイランとISISに対する実質的な共同軍事作戦を行い、イエメンではイランに後援されているホーシ勢力に対するサウジアラビアの軍事作戦を支援している。たとえ米国の政策が往々にして混乱しているとしても、弱体化し、分割されたイラクとシリアは、このようなやり方に完全に一致しているのだ。
ここで明らかなのは、ISISとその怪物たちは彼らをイラクとシリアに最初にもたらし、また、それ以来公の、または極秘の戦争を起こしてISISを増長させてきたその同じ列強国によって打ち負かされることはないということだ。西欧の終わりのない中東への軍事介入は破壊と分断のみをもたらした。この病を癒すことができるのは、この地域に住む人々であって、そのウィルスを培養した者ではない。
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