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2015年8月25日火曜日

斬首されたシリアの学者はISISテロリストをパルミラの古文化財の隠し場所に連れて行くことを拒んだ

以下の文はグローバルリサーチに8月20日に掲載されたもので、原文はレバント研究学会に19日に掲載されたカリーム・シャリーンとイアン・ブラックによる  Beheaded Syrian Scholar Refused to Lead ISIS Terrorists to Hidden Palmyra Antiquities を訳したものです。(アクセスは2015年8月21日)

カーレド・アル=アサード氏(82歳)はこの古代都市パルミラで殺害されるまでの一ヶ月間、過激派から尋問を受けていた。

イスラム国(IS)過激派は高名な古代文化財学者をシリアの古代都市パルミラで斬首し、この史跡の主要な広場の柱に切断された体を吊るした。貴重な古代芸術・工芸品を保管のためにどこに移動したかを明かすことを拒んだためと見られる。


カーレド・アル=アサード(82)の惨殺は、シリアと隣国イラクの三分の一を占拠し、支配下の地域で「カリフ国」を宣言したこのジハードグループが行ってきた残虐行為の最新のものである。この事件はまた、ISISが古代文化財を破壊すると同時に活動の資金を得るために略奪したものを常習的に売っていることを浮き彫りにした。

シリア(文化省)古文化財局長のマーモウン・アブドゥルカリム氏は、パルミラの古文化財長として50年以上働いてきた学者が火曜日にISISによって殺されたとをアサード氏の家族から知らされたと述べた。アサード氏は殺害される前の一ヶ月間囚われの身となっていた。アラブ・英国理解協会長のクリス・ドイル氏はシリアの情報筋から、この考古学者がISISにパルミラの秘宝の在り処について尋問されており、協力を拒んだために処刑されたことを知らされた、と述べた。

ISISはこの古代都市を政府軍から5月に奪った。古代美術・工芸品を偶像崇拝として破壊することで知られているが、巨大なローマ時代の遺跡が破壊されたという情報は入っていない。

「この地とその歴史にこれだけの偉業を残した学者が斬首され、その亡骸がパルミラの広場の中央の古代円柱の一つに今でも吊られていることを想像してみたまえ、」とアブドゥルカリム氏は述べた。「これらの犯罪者がこの都市に居続けることは(パルミラ)と、その全ての円柱と全ての遺跡の一片にとって呪であり凶兆だ。」
パルミラを拠点とする活動家たちはアサード氏の斬首された身体がこの町の通りの柱にくくり付けられている未証明の惨たらしい映像をソーシャルメデイアで回覧させた。その身体の前に置かれた板には、彼のシリア大統領バシャール・アル=アサドへの忠誠や、政権の諜報と治安当局高官と連絡を取り続けていること、そしてパルミラの「偶像」コレクションの管理をしていたことを非難する罪状が記されていた。

イスラムの厳格な解釈に従うISISはこのような古代の像を維持することを背教行為とみなす。シリア国営通信社SANAと英国に本拠地を置くシリア人権監視団によれば、アサード氏は火曜日に町の博物館の外の広場で数十人の目前で斬首された。そして亡骸はパルミラの遺跡のローマ円柱のひとつに吊るされた。

アマール・アル=アズム氏はシリアの科学と保全研究所を管理してしていた元シリア古文化財局員でありアサード氏とは個人的な知り合いであった。彼はアサード氏を評して、パルミラの初期の発掘と各部分の修復に従事した「掛替えのない」学者と述べた。「カーレッド・アサードのことを語らずしてパルミラの歴史や研究について書くことができないほど必要不可欠な人物だった。」「それはエジプト学がハワード・カーター抜きには語れないのと同じことだ」とアズム氏は述べた。そしてまた、

「彼はこの地についての膨大な知識の宝庫であって、それが失われたことが惜しまれる。彼はこの遺跡の隅から隅まですべてを知っていた。このような知識は掛替えのないもので、ただ本を買ってきて読めば身につくようなものではない。そのような知識は、それを身をもって生きて密接な関与をしてきたことのみによって得られる個人的な特質を持っている。それが永久に失われてしまった。我々にはもうそれを持つことはできないのだ。」と付け加えた。

この都市がISISに征服される前にシリア当局者は過激派に破壊されることを恐れて何百もの古代の彫像を安全な場所に移した。ISISは持ち運びができて簡単に売ることができる未登録の物品を探すであろうと思われた。ISISが支配する前にアサード氏は博物館にあったものを避難させる役割を担ったので逮捕されるのは確実だったとアズム氏は述べた。「彼はパルミラにずっと長い間いてずっとその一部でありつづけていたから、一生を過ごした場所で最後を迎えることを彼は多分わかっていたのではないか。そしてそれが不幸なことに現実となってしまった。」「惨いことだ。」

歴史家のトム・ホランド氏は、この悲報は遺憾であり、

「古代世界の研究に興味を持つ者すべてにとって、博物館で古代文化財の展示を監督したり、考古学の国際会議に出席することが死刑に値するというイデオロギーを信奉するものがいると気づかされるのはショック以上のものだ。」と述べた。


パルミラは古代、シルクロードの重要な貿易中継地として繁栄した。アサード氏は過去数十年間にわたって米国、フランス、ドイツ、スイスの考古学派遣団と共にローマの墓地とベル神殿を含むユネスコ世界遺産パルミラの有名な2000年の遺跡の発掘と調査をしていた。

SANA通信社はアサード氏がパルミラ博物館の庭でいくつかの古代共同墓地、洞窟そしてビザンチンの墓地を発見したと述べた。彼はまた、7世紀にイスラムが台頭する前に、この地域で共通語として使われていたアラム語学者でもあった。

「アル=アサードはシリアと世界にとって大切な存在だった、」と彼の義理の息子カリール・ハリリ氏はAP通信に語った。「なぜ彼らはアサードを殺したんだ。」「彼らは組織的な作戦で我々を先史時代に連れ戻そうとしているが、それが成功することはない。」

6月にISISはパルミラのふたつの古代神殿を爆破した。これらはローマ時代の建造物ではなかったが、過激派は多神教で神を冒涜するものとした。7月初旬にISISは25人の捕らえられたシリア政府兵士らの円形劇場での殺害が写されたビデオを発表した。ユネスコは先月、略奪が「工業規模」で行われていることに警鐘を鳴らした。ISISはイラクの二ムロッドなどの遺跡破壊を宣伝するが古文化財を略奪して活動資金にあてていることについてはほとんど語らない。

盗まれた古文化財は、このグループの数百万ドルほどと見られている収入のうち、石油の密売と直接税、恐喝とともに顕著な比重をしめている。ISISは2014年までにすでに存在していた幾つかの武装グループ、個人、シリア政権による不法発掘と略奪行為を乗っ取った、と考古学専門家らは述べている。ISISは初め発掘をする「許可」を与えたものに20パーセントの税を課していたが、後で自分たち自身の考古学者、発掘団、機械を調達し始めた。米国率いる同盟国が油田や他の標的を爆撃し始めたときに、ISISは盗掘により投資をし、許可なしに略奪することに対する罰を科した。


2015年8月9日日曜日

シリアでのオバマによる「安全区域」は戦火を煽ることになる

リビアで起こったことを覚えているものなら今回の米国とトルコによるシリア国内の「安全区域」が「飛行禁止区域」であり、アサド政権打倒のために以前から計画されていたことがわかるであろう。以下の文はグローバル・リサーチに2015年7月31日に掲載されたシャムス・クック(Shamus Cooke)による Obama’s “Safe Zone” in Syria Will Inflame the War Zone を訳したものです。

この「安全区域」が戦争の大きな拡大であるにもかかわらずメデイアではソフトなトーンで描かれている。実際には「安全区域」は「飛行禁止区域」であり、他国の領土内で軍事制空権の実施を計画していることを意味する。これは長い間国際社会そして米国軍関係者によって主要な戦争行為と認められている。紛争地帯ではある地域に入ってくるもの全てと付近にある危険と思われるもの全てを破壊することによって「安全」を確保する。

トルコはシリア戦が始まったときからオバマに飛行禁止区域を要求していた。この戦争のあいだ中、この数ヶ月間にもずっとこのことが議論されてきたが、攻撃対象と想定されているのは常にシリア政府である。

そして突如飛行禁止区域が実現した。トルコが常に望んでいたのと全く同じ場所で。しかし適切な名称である「対クルド、対シリア政府」安全地帯ではなく「対ISIS」というラベルがついている。
米報道機関は瞬きもせずにこの名前変更を受け入れたが、多くの国際報道機関はもっとよく知っている。例えばインターナショナル・ビジネス・タイムズは「安全地帯の協定」は...アサド(大統領)の止めを刺すことになりえると報告している。

そしてミドルイースト・アイでは、

  。。。(この安全地帯は)トルコにとってシリアのバシャール・アル=アサド政権と対峙するための  難関を突破したことになる。飛行禁止区域が実現したならばアサドとその支持者たちにとって
     大きな打撃となるだろう。

報告している。米国の報道機関でもオバマの安全地帯の同盟国トルコの主要な目的については認識している。クルド戦闘員とシリア政府を打ち負かすことだ。この両者がISISに対して最も効果的な戦闘員であり続けたにもかかわらず。ISISが去った後の空間を埋めることになる地上軍の目的もシリアの政権交代である。ニューヨーク・タイムズが効果的な湾曲法で「比較的穏健なシリアの反乱軍」と呼ぶところの地上軍がISISが去った後の空間を埋めることになるが、この軍隊の目的もシリアでの政権交代である。

ニューヨーク・タイムズが安全地帯同盟諸国の目的を確認した。

  ...トルコとシリアの反乱軍はどちらもバシャール・アル=アサド大統領の打倒が最優先事項で  ある...

もしも安全地帯の標的がシリア政府でないというのであれば、ISIS消滅後にシリア政府軍が以前そうしていたように安全地帯を支配することになる。もし政権交代が目的でないのならシリア政府はISIS攻撃の際には事前に連絡を受け、協調することになったずだ。なぜなら、この安全地帯が指定している同じ地域でシリア軍はISISと激しい戦闘を行っているからだ。このような措置を取らなかったのは「安全地帯」計画がISISよりはるかに大きなものだからだ。オバマは安全地帯を支配する「比較的穏健な戦闘団」が誰なのかについて詳しくは語っていないが当てるのは簡単だ。シリア反乱軍の中で誰が効果的な戦闘集団で、近くの地域を支配しているかを見さえすればいいのだ。

この地域のISIS以外のグループで最近ブランド名を変更して「征服軍」と名乗っているヌスラ戦線とアハラール・アル=シャム率いるイスラム過激派連合である。ヌスラはアル=カイダの公式の連携組織であり、アハラール・アル=シャムの指導者は以前、彼のグループは「本物のアル=カイダ」であると述べている。この征服軍はトルコとサウジアラビアと積極的に協調しており、米国によって訓練された多くの戦闘員らによって構成されている。

これらのグループはISISのイデオロギーと戦術を共有しており、違うのは彼らが米国とトルコと共同で行動することに意欲的であるという点のみだ。いったん「安全地帯」の施行が始まれば多くのISIS戦闘員が単にシャツを脱ぎ変えてヌスラ戦線に参加するであろうことは予測に難くない。なぜなら、この2集団間に原理的な違いはないからだ。オバマは「安全地帯」を支配する国外からの地上軍団がシリア政府を標的にしていることを知っている。ということは米軍機は事実上シリア政府に対するアル=カイダの空軍として機能することになる。

これはシリア政府との直接の軍事衝突が避けられないことを意味する。アサド大統領はすでに、米国、トルコ同盟が協調された軍事作戦によって「安全」にしようとしている地域でISISを攻撃しているからだ。ISISに対処した後に、過激派グループがシリア政府への攻撃を続けることを可能にするための「安全地帯」なので、シリア軍の戦闘機も結局は標的になるであろう。

この危険についてはニューヨーク・タイムズでも認められている。

  「目的が何であったとしても、この(安全地帯)計画はアメリカと同盟国の戦闘機をシリア航空機が定期的に爆弾を落としている地域に今までになく近づけることになり、もしシリアの戦闘機が同盟諸国の地上にいるパートナー(比較的穏健な反乱軍)を攻撃したらどうするのかという疑問を喚起する。」

答えは明白だ。米国とトルコの戦闘機はシリアの航空機と戦闘状態になり、政権交代という目的を達成するまで戦争を拡大深化することになる。これこそがリビアて発展した事態なのだ。米国とNATO主導の人道支援の通路を作るためとされた「飛行禁止区域」は、すぐに雪だるま式に本当の目的達成のために拡大された。政権交代とリビア総統の殺害である。この大規模な戦争犯罪をオバマとヒラリー・クリントンは今でも「勝利」として称賛している。リビア人たちが、以前は近代的であった今や見る影もない国から逃避するために地中海で溺死しているというのに。

もしもオバマのシリアでの目的が実際にISISを打倒することであったなら、それはいつでも数週間で達成できていたことだ。米国の中東地域の同盟諸国と真剣で調整された努力をし、非同盟諸国ですでにISISと戦っているシリア、イラン、ヒズボッラーと協調しさえすればよいのだ。トルコ、サウジ・アラビア、イスラエルとヨルダンがISISとの戦いに参加するならば、直ちに資金、武器そして兵士調達の首を締め上げられ、格段と勢力を落とすことになる。これで戦争は終了。

これが実現しない唯一の理由は、米国とその同盟諸国が常にISISをシリア、ヒズボッラーとイランに対抗するする便利な代理とみなしてきたからだ。またISISはいうまでもなく、イランに友好的なイラク政府への政治的梃いれにもなる。

トルコはISISを打倒するための最も大きな障害であり続けている。なぜならトルコはISISを数年間支援してきたからだ。ISISはずっとトルコ国境をシリア政府からの攻撃から逃れるため、医療支援を受けるため、物資補給や兵員補充のために利用してきた。ISISはトルコ国内に快く迎えられていたので、ISISはソーシャルメデイアでトルコをISISに参加したいジハーディストの為の国際的な通過拠点として宣伝している。トルコの移民局も税関も見て見ぬふりをし、トルコ国境警備もまたそのようにしている。

「安全地帯」について議論するときに、米国のメディアは必ず国家主権という国際法の基盤をなす概念を無視する。国際法の見地からして国々の境界線は侵すべからざるものだ。防衛戦争のみが正当な戦争とみなされる。ある国が他国に飛行禁止区域を施行するのは国境が侵害され、戦争行為によって国際法が破られたことを意味する。

オバマ政権は上述の動力学を理解しているが、2013年に中止となったシリア政府を爆撃する計画を練っていたときと同じように慎重さを捨ててしまった。米国とトルコの飛行禁止区域はすでに地域戦争となったものをさらに深刻化させる。イランとヒズボッラーは最近シリア政権に対する直接支援を増大させた。トルコと米国の軍隊が戦場に入ることによって対決は避けられなくなる。対決することが計画そのものなのだから。


2015年8月6日木曜日

リビアのサイフ・イスラム・カダフィと政府高官の死刑求刑に抗議

以下は今年7月31日にグローバルリサーチに掲載されたクリストフ・リーマン(Dr. Christof Lehmann)による以下の文を訳したものです。

Libya: Protests against Death Sentences for Saif and other Qaddafi Government Officials
http://www.globalresearch.ca/libya-protests-against-death-sentences-for-saif-and-other-qaddafi-government-officials/5466008 (アクセス”2015年8月2日)

火曜日にトリポリの正式に認められていないリビア政府の下でトリポリ裁判所は2011年に崩壊した政府の高官、サイフ・アル=イスラム・カダフィとアブドゥラー・セヌッスィその他7名に死刑を宣告した。数多くのものが厳しい判決を受けており、リビアのいくつかの地区で抗議行動が起こった。
失脚し殺害されたもと国家元首ムアンマール・カダフィの息子サイフ・アル=イスラム・カダフィとアブドゥラー・セヌッスィ、そして崩壊した政府の7名のメンバーに対する判決と死刑宣告は驚くべきものではなかった。死刑を宣告されたのは元首相のアル=バグダディ・アル=マハムーディ、元人民委員会総書記のアブゼイド・ドゥールダ、崩壊した元政府の諜報局長マンスール・ドウ、元国内治安局長のミラッド・ダマン、アブドゥラー・セヌッスィ補佐アブドゥルハミッド・オヒダ、トリポリ革命委員としてアウィダット・ガンドールとムンダール・ムクタール・ガニアミである。

サイフ・アル=イスラムとアブドゥラー・セヌッスィの裁判は本人不在で行われた。サイフは24回の審理のうち3回ビデオリンクで参加したのみだ。失脚した国家元首の息子はジンタンに拘禁されていると報告されている。被告の法律家との接見や弁護士との会話を秘密裏に行う権利などが取りざたされている。サイフ・アル=イスラムとアブドゥラー・セヌッスィの2人はヘイグの国際刑事裁判所(ICC)からも同時に手配されている。物議をかもしているのは、ICCがサイフ・アル=イスラム・カダフィは訴追のためにヘイグに送還されるべきだと主張とすると同時に、彼の裁判は公正であったとしていることだ。トリポリの裁判所は被告に銃殺刑を言い渡した。この判決は、国際的に承認されていないトリポリの政府下の裁判所と裁判の合法性に対する疑問を喚起した。2011年にリビア政府が外国の支援によって追放された後にこの国が陥った無秩序状態の所産であるからだ。過去に国際的な承認を受けた政府といえば、トリポリを避難してトブルクに移っている。

被告らに対するその他の求刑は、終身刑が、
Husni Al-Wahishi, Mohamed Al-Deeb, Mabrouk Masood, Omran Furjani, Mahamed Al-Hanashi, Amer Fraraj, Radwan Al-Hamali, and Bashir Hamidan;  
12年の禁固刑が、
Mohamed Al-Zway, Mohamed Al-Sherif, Abdullah Abu-Kasem, Muhsen Lamooji, Jibril Kadiki, Ali Ahmeda, and Sayd Gheriani;  
10年の禁固刑が、
Abdulhafeed Zlitni, Bu Ajeela Masood, Amar Nayed, and Mohamed Ramadan;  
6年の禁固刑が、
Abdulraheem Gmati, Ali Abdussalam, Abdulrauf Ahour;
5年の禁固刑が、
Ali Mozogi.
である。

NSNBCインターナショナルは現在トリポリの法務省に連絡し、この裁判の法廷文書または裁判と判決の謄本を手に入れようとしている。この元政府関係者に対する判決に対して、セブハのマンシヤ地区(Sebha's Manshiya district)、ブラク(Brak)、キラー(Qirah)、シュワイリフ(Shuwairif)を含むいくつかの地区で抗議運動とデモが起こった。これらの三つの場所はセヌッスィがメンバーであるマガルハ(Magarha)族によって占められている。この部族はトリポリへの水の供給を支配しており、これを部族の長らが政治的影響力として使うのではないかと憶測されている。裁判所と判決に対する抗議は、バニ・ワリッドやシルテといった場所でも行われている。これらの場所が自称「イスラム国」別名ダエシュ、ISIS, ISILによってほとんど支配されているにもかかわらずである。

2011年にNATO主導の同志連盟が国連安全保障委員会決議1973(2011)の飛行禁止区域の施行を求める条項を逸脱してからリビア政府は転覆され、ムアンマール・カダフィは殺害された。それどころか、NATO主導の同志連盟はカタールとサウジアラビアからの強力な支援、そしてイスラエルからも非公式の支援を得てムスリム同胞団とアル=カイダと繋がっているテロリスト旅団を積極的に支援した。しかも、数千人に上る外国人傭兵がリビアに流入し、その一部は米国CIAから直接支援を受けていた。以来リビアはシリア、マリ、そしてイラクの戦争の跳躍版となった。

2015年8月5日水曜日

ワシントンのアルカイダ同盟者が今やリビアでISISの指導者に

以下の文は2015年3月10日にグローバルリサーチに掲載されたエリック・ドレィツアー(Eric Draiser)のWashington’s Al Qaeda Ally Now Leading ISIS in Libya を訳したものです。

米国の同盟者であるアブデルハキム・ベルハジが今やリビアでISISを率いていることが明らかになったが、これは米国のこの国とこの地域全体での政策をずっと観察していたものにとっては何ら驚くに値しない。 このことは米政府が数え切れないほど自分たちが世界中で戦っていると主張しているその勢力そのものに支援と快適さを与えてきたことを示している。

最近の報告書には、アブデルハキム・ベルハジがリビア国内にいるISISの組織司令官の位置に収まっているとある。この情報はベルハジが聖戦過激派の温床として知られるリビア東部のデルナ(Derna)付近のISIS訓練センターの活動を支援し調整していることを確認したある米諜報員(名前は出ていない)によるものだ。

このアル=カイダテロリストからISIS司令官、というのは主要ニュース記事にはならないようだが、実は2011年から米国とそのNATO同盟諸国はベルハジのことを「自由の戦士」として支持してきた。これらの国々は、ベルハジを彼自身を含む多くのリビア・イスラム闘争グループ(LIFG)メンバーを捉え拘留した「非道な独裁者」ガダフィに対し、自由を愛する同志を勇敢に率いて戦う人物としてきた。

ベルハジはリビアでの米国の目的を非常に良く追行したので彼とその追随者たちをヒーローと呼ぶ上院議員ジョン・マッケインから表彰されているのを見ることができる。彼はガダフィが失墜した当初トリポリの軍司令官という地位を見返りに得たが、より政治的に聞こえの良い「暫定政権」に譲ることを余儀なくされた。以降この暫定政権は無秩序状態で戦争に引き裂かれた国で消滅していった。
ベルハジのテロ活動の歴史には、アフガニスタンとイラクでアル=カイダと協力するという「成果」、そしてもちろん、黒人系リビア人と緑の抵抗運動(ガダフィ率いるリビア・アラブ・ジャマヒリヤに忠実な者たち)の一味と疑われた者らの大量殺害となった米国とNATO後援のリビア中での暴力行為に彼が都合よく追従したことが挙げられる。企業メディアはベルハジがCIAの移送プログラムによって拷問を受けたらしきことで彼を殉教者にしようとしているが、彼が行く先々で暴力と流血の結果となることは動かされぬ事実だ。
これらの情報の多くはすでに知られていることであるが、ここで最も重要なのはこのニュースを適切な政治的脈絡の中で見ることである。それによって米国がリビアからシリア、そしてそれ以外の国で過激な武装団の主要な擁護者であり続けており、「穏健派反政府軍」などというのは考えることをしない大衆をだますために作られた巧言にすぎないという明白な事実が浮き彫りにされる。

敵の敵は友...そうでなくなるまでは

ベルハジのアル=カイダとの繋がりと世界各地での彼のテロリストの業績には多くの記録された証拠がある。数々のレポートが彼のアフガニスタンその他各地での戦闘を取り上げているし、彼自身イラクで米兵たちを殺したことを豪語している。しかしベルハジがガダフィとリビアの合法である政府転覆を望む「反乱勢力」の顔となったのは2011年のリビアにおいてである。

ニューヨーク・タイムズのレポートによれば、

  リビア・イスラム闘争グループは1995年にカダフィ大佐を失脚させることを目的に創設された。  リビアの治安部隊に山岳に、または国外に追いやられていたこのグループのメンバーは一番最  初にカダフィ治安部隊との戦いに参加した集団のひとつだ。。。。正式にはこの闘争グループは  もう存在していないが、以前メンバーだった者の多くがアブー・アブドウッラー・サディク(別名 ア  ブドルハキム・ベルハジ)の指揮の下で戦っている。

ということはベルハジは米国とNATOのリビアに対する戦争に参加しただけでなく、最も強力な指導者の一人として対カダフィ戦の最前線で百戦錬磨の聖戦主義集団を率いていたということだ。このことを最もよく物語っているのがリビア・イスラム闘争グループ(LIFG)がバブ・アル=アズィズィヤにあるガダフィ邸の敷地攻撃の先陣を切ったことだ。その際にLIFGは米諜報機関と米軍から情報と、そして多分戦術的支援をも提供されていた。

ベルハジが急激に世界規模の問題として浮上したISISと関連しているというこの新しい情報は、米国とNATOのリビアへの戦争が米諜報局と米軍が公然と、そして暗黙裡に支援したテログループによって戦われてきたという、2011年以来本著者を含む多くのものが主張してきたことを強化するものだ。また、この情報は米国が自国の地政学的目的のために世界中で最も活動的なテロリストの巣窟をどのように利用したかについて光をあてる、近年浮上した他の情報とも合致する。

最近のレポートによれば、ベルハジはデルナのISIS訓練センター支援に直接関わっている。デルナといえば、もちろん、2011年からリビア情勢を追っているものなら良く知っているはずの場所だ。なぜならこの町は「蜂起」の初期から破滅の年2011年までトブルークとベンガジと共に反ガダフィ、テロリストのリクルート中心地であったからだ。デルナはまた、それよりもずっと前から暴力的過激派の拠点として知られていた。

2007年に「イラクにいるアル=カイダの外国人戦闘員:シンジャール記録初調査」と題した主要な研究がウエストポイントの米陸軍士官学校のテロリズム撲滅センターによって行われた。その著者らによれば、
  シンジャール記録の戦闘員のほぼ19パーセントはリビアのみから来ている。さらに、シンジャー  ル記録のサウジアラビアを含めた他のどの国よりもリビアは戦闘員を数多く輩出している。。。
  イラクに渡るリビア補充兵が急増したのはリビア・イスラム闘争グループ(LIFG)がアル=カイダと  協力関係を深めており、2007年11月3日にLIFGが正式にアル=カイダに参加するに至ったこ  とと関係しているようだ。。。戦闘員たちがもっとも多く故郷の町としてあげるのはリビアのダルナ  (デルナ)とサウジアラビアのリヤドで、それぞれ52名と51名の戦闘員がこの二つの町の出身   だ。ダルナ(デルナ)の人口は、リヤドの430万人にくらべ、8万人を少し上回るだけで、シン    ジャール記録の戦闘員の中では町の人口比でとび抜けて高い。

ということは、米軍と諜報界は10年近く(多分それより長く)デルナが直接または間接的にLIFG関係のジハーディストたちに支配されており、この町が中東地域でのテロリズムの主要なリクルート場として機能していたことを知っていたということだ。当然このような情報は、ISIS訓練キャンプがデルナの地で悪名高きベルハジと繋がっていることの地政学的そして戦略的な重要さを理解するためになくてはならないものだ。

このことは我々を3つの相互に関連した同等に重要な結論に導く。第一は、デルナがまたリビアと、言うまでもなく標的であるシリアを含むより広範なこの地域で戦われるテロ戦争の歩兵を供給することになること。第二は、デルナの訓練場は米国と繋がっていることが知られている人物によって支援と調整がなされるということ。そして第三は、米国の「穏健派反乱軍」を支援するという政策は平均的アメリカ人(そして西欧に住む人々一般)に米国はテロリズムを支援していないと思わせるために作られた広報キャンペーンにすぎない。支援しているという反対の証拠がこれだけあるにもかかわらず。

「穏健派反乱軍」の虚構

ベルハジとISISに関するニュースは孤立状態で観察されるものではない。むしろ、「穏健派」が米国にって支援されているという概念は世間一般と政治を観察する人々の知性を侮辱するものであることのさらなる証と見られるべきだ。

3年以上も米政府はシリアのいわゆる穏健派を支援するという政策を喧伝してきた。ひとつの大きな「穏健派」テントの中にはアル=ファルカーン旅団(人食いで有名となった)からハズム(「決意」)まで多種多様なテログループがその時々に巻き入れられてきた。米国のプロパガンダ布教者と各種の戦争煽動者たちには気の毒だが、これらのグループは以来その他の多くのグループと共にヌスラ戦線とISIS/ISILに自主的にまたは強制的に組み込まれている。
最近、もと自由シリア軍の派閥からISISへ大規模な離脱があったという多くの報告がなされた。寝返ったものたちは米国が供給した高度な武器を持ち込んだ。米政府の政策の「看板ボーイ」と相まって、前述のハズムグループも今やシリアでアル=カイダと繋がっているヌスラ戦線の一部となっている。もちろんこれらはISISか、シリアでのアル=カイダ・ブランドのどちらかと提携するたくさんの例の一部に過ぎない。その他ちょっと挙げただけでも、リワー・アル=ファルーク、リワー・アル=クサイル、そしてリワー・アル=トゥルコメンなどがある。

ここで明らかなのは、米国とその同盟諸国が、シリアでの政権を変えるための終なき追求として過激派集団を公然と支援し続け、それらの集団が合体してISIS,ヌスラそしてアル=カイダという地球規模のテロ脅威が形成されたということだ。

しかし、これはなにも新しいことではない。ベルハジの件が議論の余地なく示しているように、以前アル=カイダだった人物が「穏健派」で「トリポリの我々の味方」となり、今やリビアでのISIS脅威のリーダーだ。そしてシリアでは「我々の友達」が我々の敵となった。これらのことで驚くものは誰もいないはずだ。でも多分ジョン・マッケインは彼の長期にわたるベルハジとシリアの「穏健派」との付き合いについて疑問に答えたいのではないか。オバマは彼のリビアへの「人道的介入」がなぜこの国にとって、そしてこの地域全体の人道的悪夢になってしまったのかを説明しないのか?これらの全ての作戦に広範に関わってきたCIAは、誰を実際支援し、この無秩序状態を作り出すのにどのような役割を担ってきたのか一切を白状しないのか?
このような質問が企業メディアの口から発せられるとは思えない。これらの破滅的状況を生むに至った決断を下した米政府の者たちが、これらの問いに答えを与えることもありえないように。だから、企業プロパガンダ集合体の外にいる我々こそが答えを要求し、権力層が我々の声や..真実を抑圧することのないように求めるべきであろう。


Eric Draitser is an independent geopolitical analyst based in New York City, he is the founder of StopImperialism.org and OP-ed columnist for RT, exclusively for the online magazine “New Eastern Outlook”.