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2015年8月6日木曜日

リビアのサイフ・イスラム・カダフィと政府高官の死刑求刑に抗議

以下は今年7月31日にグローバルリサーチに掲載されたクリストフ・リーマン(Dr. Christof Lehmann)による以下の文を訳したものです。

Libya: Protests against Death Sentences for Saif and other Qaddafi Government Officials
http://www.globalresearch.ca/libya-protests-against-death-sentences-for-saif-and-other-qaddafi-government-officials/5466008 (アクセス”2015年8月2日)

火曜日にトリポリの正式に認められていないリビア政府の下でトリポリ裁判所は2011年に崩壊した政府の高官、サイフ・アル=イスラム・カダフィとアブドゥラー・セヌッスィその他7名に死刑を宣告した。数多くのものが厳しい判決を受けており、リビアのいくつかの地区で抗議行動が起こった。
失脚し殺害されたもと国家元首ムアンマール・カダフィの息子サイフ・アル=イスラム・カダフィとアブドゥラー・セヌッスィ、そして崩壊した政府の7名のメンバーに対する判決と死刑宣告は驚くべきものではなかった。死刑を宣告されたのは元首相のアル=バグダディ・アル=マハムーディ、元人民委員会総書記のアブゼイド・ドゥールダ、崩壊した元政府の諜報局長マンスール・ドウ、元国内治安局長のミラッド・ダマン、アブドゥラー・セヌッスィ補佐アブドゥルハミッド・オヒダ、トリポリ革命委員としてアウィダット・ガンドールとムンダール・ムクタール・ガニアミである。

サイフ・アル=イスラムとアブドゥラー・セヌッスィの裁判は本人不在で行われた。サイフは24回の審理のうち3回ビデオリンクで参加したのみだ。失脚した国家元首の息子はジンタンに拘禁されていると報告されている。被告の法律家との接見や弁護士との会話を秘密裏に行う権利などが取りざたされている。サイフ・アル=イスラムとアブドゥラー・セヌッスィの2人はヘイグの国際刑事裁判所(ICC)からも同時に手配されている。物議をかもしているのは、ICCがサイフ・アル=イスラム・カダフィは訴追のためにヘイグに送還されるべきだと主張とすると同時に、彼の裁判は公正であったとしていることだ。トリポリの裁判所は被告に銃殺刑を言い渡した。この判決は、国際的に承認されていないトリポリの政府下の裁判所と裁判の合法性に対する疑問を喚起した。2011年にリビア政府が外国の支援によって追放された後にこの国が陥った無秩序状態の所産であるからだ。過去に国際的な承認を受けた政府といえば、トリポリを避難してトブルクに移っている。

被告らに対するその他の求刑は、終身刑が、
Husni Al-Wahishi, Mohamed Al-Deeb, Mabrouk Masood, Omran Furjani, Mahamed Al-Hanashi, Amer Fraraj, Radwan Al-Hamali, and Bashir Hamidan;  
12年の禁固刑が、
Mohamed Al-Zway, Mohamed Al-Sherif, Abdullah Abu-Kasem, Muhsen Lamooji, Jibril Kadiki, Ali Ahmeda, and Sayd Gheriani;  
10年の禁固刑が、
Abdulhafeed Zlitni, Bu Ajeela Masood, Amar Nayed, and Mohamed Ramadan;  
6年の禁固刑が、
Abdulraheem Gmati, Ali Abdussalam, Abdulrauf Ahour;
5年の禁固刑が、
Ali Mozogi.
である。

NSNBCインターナショナルは現在トリポリの法務省に連絡し、この裁判の法廷文書または裁判と判決の謄本を手に入れようとしている。この元政府関係者に対する判決に対して、セブハのマンシヤ地区(Sebha's Manshiya district)、ブラク(Brak)、キラー(Qirah)、シュワイリフ(Shuwairif)を含むいくつかの地区で抗議運動とデモが起こった。これらの三つの場所はセヌッスィがメンバーであるマガルハ(Magarha)族によって占められている。この部族はトリポリへの水の供給を支配しており、これを部族の長らが政治的影響力として使うのではないかと憶測されている。裁判所と判決に対する抗議は、バニ・ワリッドやシルテといった場所でも行われている。これらの場所が自称「イスラム国」別名ダエシュ、ISIS, ISILによってほとんど支配されているにもかかわらずである。

2011年にNATO主導の同志連盟が国連安全保障委員会決議1973(2011)の飛行禁止区域の施行を求める条項を逸脱してからリビア政府は転覆され、ムアンマール・カダフィは殺害された。それどころか、NATO主導の同志連盟はカタールとサウジアラビアからの強力な支援、そしてイスラエルからも非公式の支援を得てムスリム同胞団とアル=カイダと繋がっているテロリスト旅団を積極的に支援した。しかも、数千人に上る外国人傭兵がリビアに流入し、その一部は米国CIAから直接支援を受けていた。以来リビアはシリア、マリ、そしてイラクの戦争の跳躍版となった。

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