以下は2001年にジャーナリストのウエイン・マドセンが米下院の公聴会で行った報告を翻訳したものです。原文は雑誌 New African (September 2001. No.399) に掲載されましたが当時は会社名などが伏せてありました。現在は同じ文章がいくつかのサイトで見つけることができます。http://www.inshuti.org/madsen2.htm
ウエイン・マドセン
ワシントンDC
2001年5月17日
ウエイン・マドセンは「苦悩と絶望、コンゴにおける人道的危機」をテーマに調査を続けるジャーナリストである。以下は2001年5月17日にワシントンDCの米下院、国際活動と人権小委員会及び国際関係委員会で提出された宣誓証言と声明である。
私の名はウエイン・マドセン。「アフリカにおける大虐殺と秘密工作、1993年~1993年」の著者である。この本の為に約3年間かけて調査を行い、ルワンダ、ウガンダ、フランス、イギリス、アメリカ、ベルギー、カナダそしてオランダで無数のインタビューを行った。私は諜報活動とプライバシー問題を専門とする調査ジャーナリストである。
今日(2001年5月17日)この委員会に出席させていただいたことを光栄に思うとともに、この委員会がコンゴ民主共和国の現状に関するこのような公聴会を開くことに関心を持たれたことに感謝の意を表したい。アメリカの過去10年間近いコンゴでの、特にその東部に関する政策の記録についてお話したいと思う。
この政策は、私の意見では二つの柱に支えられている。それは、軍事援助と不審な商取引である。軍事援助プログラムは主に米国特殊作戦軍と国防情報局(DIA) によって企画運営され、その活動には公然と行われてきたものと秘密裏に行われてきたものがある。
ルワンダが1996年に最初にザイール(後コンゴ民主共和国)を侵略する以前、アメリカの諜報員集団がザイールに集結した。彼らがザイール東部の防衛に強い関心を持っていることは、その活動から見て取れた。キガリ(ルワンダの首都)のアメリカ大使館で第2の地位にある人物がキガリからザイール東部へと出向き、後の大統領ローレン・カビラ指揮下にあるコンゴ・ザイール解放民主勢力連合(AFDL-CZ)と諜報のための接触を開始した。そのルワンダ大使館員は少なくとも12回反政府勢力の指導者と会合を持った。
ウガンダのもとアメリカ大使は米国国際開発庁(USAID)を代表してしており、ザイール東部に分布するフツ族難民の動きに関する情報を収集していた。国防情報局第2の地位にあるアフリカ担当官はキガリの米国大使館付き武官としても働いており、この人物はルワンダの国境沿いにあるシアンググとギセニイーの二つの町を偵察し、ルワンダから来た反モブツ派ルワンダ人ツチ族の国境を越える活動について諜報収集を行っていた。
国防情報局(DIA) のアフリカ局長は後にローレン・カビラ政権で外務大臣となったツチ民族のビヅイマ(ビヅイマナともいう)カラハと個人的に親しい関係を結んだ。さらに、DIAのアフリカ課はミリタリー・プロフェッショナル・リゾーシーズ社(MPRI) というバージニア州アレクサンドリアに本社のある民間軍事請負会社(PMC) と緊密な関係にあり、その会社の軍事作戦統括責任者はもと国防情報局長であった人物である。
1996年のルワンダによるザイール侵略後数週間の間、キンシャサにある米大使館の政務官は中央情報局(CIA)工作員と共にコンゴ・ザイール解放民主同盟(AFDL-CZ)反政府軍とザイール東部のジャングルを移動した。また、そのキンシャサ米大使館員と3人の米諜報員らは反政府軍が着実にキンシャサに向かって進攻してる期間中、クリントン政権のアフリカ特使ビル・リチャードソンに定期的に状況報告を行っていたとも報告されている。
その米大使館員は彼がゴマに居たのは反政府軍と会って単に昼食を共にするためだけではなかったことを認めた。そこに居た理由について彼は「反政府軍が現状において非常に重要な軍事的及び政治的勢力であることを承認し、そしてもちろんアメリカの国益が何であるかを知らしめるため」と言った。
また、MPRIはカガメの軍隊がザイールでの戦闘に備えるための極秘軍事訓練援助を行っていたという報告もある。MPRIが実際にルワンダ愛国戦線(RPF)がルワンダで政権に就いて以来、その軍事訓練に関与していると見るものもいる。
バ・ンダウ報告書
民間軍事訓練会社や軍後方支援請負会社を使った極秘作戦は情報公開法に基づく開示義務にさらされることはない。このことはコンゴ民主共和国やその周辺諸国で起こっている死と破壊の根本原因を見出すべく過去数年にわたって努力をつづけている調査研究者やジャーナリストにとって致命的である。
これらの米国の請負会社による支援プログラムがルワンダとウガンダ軍を極秘に支援していたと報道されている。この二国の軍はコンゴ民主連盟(RCD)諸派の主要な後援国であり、国連「コンゴ民主共和国における天然資源とその他の資産の不法な搾取に関する専門家パネル」報告書に記されているように、コンゴの最も貴重な天然資源が組織的に略奪されている責任はこの2国にある。
コートジボワールのサフィアトウ・バ・ンダウが議長を務める国連パネルの出した結論は「いくつかの国々の軍最高司令官らは、この紛争によって利益が得られることと、一時的に自国の国内問題を解決できること、そして富を得る道が開かれることから紛争を必要とし、そのような必要はこれからも続くであろう」というものである。
アメリカの軍と諜報界に属する者らがウガンダとルワンダ軍によるこのような組織的な略奪を様々な機会に幇助していたという証拠は充分以上ある。この国連報告書はアメリカ、ドイツ、ベルギーそしてカザクスタンをコンゴ民主共和国から不法に採掘された資源の主要な買い手として挙げている。
大湖地域の情報源はコンゴとの国境近くにあるルアンダのシアンググ付近にアメリカが建てた軍事基地があることを一貫して伝えてきている。その基地の一部は米ハリバートン社の子会社であるブラウン・アンド・ルート社によって建設されたと報告されている。同社はルワンダ愛国戦線軍(RPF)の訓練に関わり、コンゴに駐留しているRPF部隊の後方支援も行っていたとされる。またこの地域で黒人アメリカ兵がRPFとウガンダ軍を支援していたことも1996年最初のザイール・コンゴ侵略時以降一貫して報告されていることである。
1997年1月21日フランスはキブ州オソ川付近で戦闘中に殺されたアメリカ人戦闘員二人の遺体を収容し、米政府職員にそれらを引き渡したと述べた。しかし米国はそのような主張を否定している。
戦闘員へのアメリカの極秘支援
アメリカの兵士と諜報員らがルワンダ愛国戦線(RPF)とコンゴ・ザイール解放民主同盟(AFDL-CZ)軍のモブツ打倒軍事作戦を支援するためにアフリカになだれ込んでいた時期、アフリカ問題国防副次官補ヴィンセント・カーンは下院国際行動と人権小委員会で1996年12月4日に、アメリカのRPF軍事訓練は「拡張国際軍事教育訓練」(E-IMET) 計画に沿って行われたと発言した。
ヒューマン・ライト・ウオッチのアフリカにおける武器移転の専門家キャシ・オーステインは同小委員会での1998年5月5日の発言で、キガリにあるアメリカ大使館上級職員が米特殊部隊によるRPFの軍事訓練は「殺し屋が殺し屋を訓練している」ようなものと言っていたと述べた。
1996年11月に米偵察衛星と一機の米海軍P-3オリオンはザイール東部に居るルワンダからのフツ難民の数を確認しようとしていた。そのP-3はヴィクトリア湖の沿岸にある旧エンテベ空港に配置された4機のうちの1機である。奇妙なことに、東部ザイール上空を飛ぶ航空機はカビラ軍の対空射撃の標的になっていたが、ゴマとサケ上空を巡回するP-3はその標的にはならなかった。
米軍と援助職員らはオーバーヘッド監視情報をもとに、ザイールからルワンダ60万人のフツ難民が帰還したと自信を持って発表した。しかしそれにはおよそ30万人の行方不明者は含まれていない。多くのフツはブカヴ周辺の難民キャンから消え去ってしまったかのようだ。
1996年12月までに米軍団はブカヴで大勢のフツとそれよりは数の少ないトウワ難民、マイマイゲリラ、侵攻するルワンダ軍そしてコンゴ・ザイール解放民主同盟反政府軍の只中で作戦活動を行っていた。仏軍諜報員はコンゴ東部の紛争地域に100人ほどの米武装軍団がいるのを探知したと述べた。
さらに、仏対外治安当局(DGSE)はアメリカがツチによってルワンダとザイール東部両方でフツ難民の抹殺が行われたことを知っていながら何もしなかったと報告している。より不気味なのは特殊部隊か傭兵であろうアメリカの軍隊が実際フツ難民の殺戮に関与したと信ずるに足る理由があることだ。
殺戮があったのはゴマ近くのオソ川岸と伝えられており、ローマ・カトリックの報告書には処刑されたものの中にフツのカトリック神父もいたとある。ジャングルの奥へと逃避したものに比べ、処刑されたものは少なくとも死は即座に訪れたことになる。ジャングルでは多くのものが熱帯病や野生動物の餌食となって死んでいったのだ。
パリを本拠地としてルモンドの国防特派員をしているジャック・イスナードはアメリカがオソ川での殺戮を知っていたという主張に同意しただけでなく、それ以上のことも述べた。彼は30人から60人の間のアメリカ人傭兵「顧問」がRPF による何10万ものフツ難民のゴマ付近での殺戮に参加していたと見る仏諜報源を引用した。このフランスの推定よりは数は控えめだが、国連のチリ人調査員ロベルト・ギャレトンもカガメとムセベニ軍が数千人のフツ難民を殺すという「人道に対する罪」を犯したと伝えている。
米軍がザイール東部に配置した航空機は特殊部隊が良く使う重整備、重装甲された武装ヘリコプターであったという。それらに装備されていたのは105ミリ経口の大砲、ロケット弾、機関銃、機雷排出装置、そしてさらに重要な夜間軍事行動に使われる赤外線感知装置であった。米軍の司令官はこれらの武装ヘリコプターは難民らの居場所を確認し、人道的援助を届ける最適な方法を見出すためであると臆することもなく言った。
フランスの雑誌ヴァレール・アクチュレスによれば、仏DC-8サリーグ電子諜報(ELINT)航空機はオソ川虐殺時にザイール東部の上を旋回していた。サリーグの任務は軍事作戦に従事するルワンダ軍隊の無線伝送を傍受し確認することであった。仏特殊地上部隊に加えてこの航空機もザイールのキブ州における米軍の民族浄化を目撃している。
1997年9月に権威あるジェーン外国報告が伝えたところによると、ドイツ諜報筋は国防情報局(DIA)がルワンダ、ウガンダそしてザイール東部の十代を含む若者達を二年間かそれ以上RPFとAFDL-CZのモブツに対する軍事行動作戦のために訓練していたことを把握していた。新兵として採用されたものはキンシャサ攻略成功時に450ドルから1000ドル払われるという条件だった。
1996年の終わりにかけて米偵察衛星はジャングルに逃げ込んだ難民の数を確認するために夜は焚き火を、日中はテントの防水シートの数を数えた。不思議なことに、宇宙画像で野営地が発見されるたびに、その場所をルワンダとウガンダ反政府軍が攻撃しているのである。1997年2月、16万人の主にフツの難民がテインギ・テインギという名で知られている湿地帯で見つけられ、その後攻撃されたときもそうであった。国防庁と米情報機関はRPFとAFDL-CZに提供した諜報の範囲について充分な説明をしていない。
これらの難民らの末路についてオクスファムUKとアイルランドの緊急対応責任者ニコラス・ストックトンが不吉な報告をしている。彼は1996年11月に米諜報航空写真を見せられ、それには50万の人々が三つの大きな群れと、いくつかの小さな群れとなって散布しているのがかなり詳細にわたって確認されていた。その3日後米軍は、多数の人々が居る場所を一箇所のみ確認でき、その集団はルワンダ国防軍とインターハムウェ武装民兵組織の元兵士であったと主張した。これらの元兵士たちはRPF軍の一番の標的であり、米国によってその身分と居場所が確認されたということは、その情報が確実にルワンダ軍に伝わったということだ。彼らはまちがいなく処刑されたであろう。そして中央アフリカにいる米軍と外交員らは、いかなるフツ難民の死亡も単なる(正当な軍事目標追行に付随する)「巻き添え被害」にすぎないと言った。
1996年にAFDL-CZとルワンダ同盟軍がキンシャサに到達できたのは主に米国の支援によるものである。カビラの軍隊がその市街にすばやく侵攻できたひとつの理由はDIAとその他の諜報機関が技術援助を行ったからだ。パリの情報筋によれば、実際、米特殊部隊はADFL-CZ軍がキンシャサ入りする際に随行していた。アメリカはカビラの反政府軍とルワンダ軍隊に高解像度偵察衛星写真を提供し、彼らがモブツ軍と衝突せずにキンシャサへ侵攻できる経路を画策できるようにした。
反政府軍がキンシャサに向けて侵攻中、べクテル社はカビラに無料で米航空宇宙局(NASA)の衛星情報を含む最先端技術による情報を提供した。
第二次コンゴ侵略へのアメリカ軍事援助
1998年までにはカビラ政権はアメリカ、北米の鉱業利権、そしてカビラの後援国ウガンダとルワンダをいらつかせる存在となっていた。その結果ルワンダとウガンダはカビラを失脚させ、より従順な人間に挿げ替えるために第二次DRC侵略を開始した。
米国防省は1998年8月6日に、20人で構成された米軍ルワンダ機関合同アセスメントチーム(RIAT)がルワンダ愛国戦線の第二次コンゴ侵攻時にルワンダにいたことを認めざるを得なかった。その偽装部隊はドイツの米ヨーロッパ司令部から配置されたものだった。
後に、その問題のチームは統合交換訓練部隊(JCET)であり、ルワンダが「元ルワンダ国防軍(FAR) とインターハムウェ」団をを打倒する援助をするために派遣されていたことが発覚した。米特殊部隊JCETチームはルワンダ部隊を1998年7月15日から訓練し始めた。そのような訓練演習が行われたのは同年に入って二度目だった。そのRIATチームはコンゴで戦闘が勃発する数週間前にルワンダに派遣されている。
内乱鎮圧作戦を専門とするRIATはルワンダが侵攻する直前にコンゴ国境のギセンニイに渡った。そのチームが下した評価のひとつは, 米国がルワンダと新たにより広範な軍事関係を築くことを勧告するものだ。国家安全保障会議のスポークスマン、P.J.クロウリーは、RIATがルワンダに駐留していたことについて、「戦闘が開始されたときに彼らがそこにいたのは偶然であろう」と述べた。
その直後に他のアフリカ諸国がカビラの援助に乗り出したとき、米国は軍事援助をE-METと統合交換訓練部隊(JCET)計画の両方から行うこととなった。米国特殊部隊員らはコンゴ戦争の両交戦国側に軍事訓練を施したということだ。つまり、コンゴ民主連合(RCD各派)を支援するルワンダ、ウガンダとブルンジに、そしてキンシャサの中央政府を支援するジンバブエとナミビアにである。
第一回目の侵攻がそうであったように、今回もまたルワンダ愛国戦線(RPF)とその同盟軍であるコンゴ民主連合(RCD)がコンゴ各地で殺戮の数々を行ったといういくつかの報告がなされた。バチカンは1998年8月にカトリック宣教所のあるカシカというキブ南部の小さな村で多くの一般市民が殺害されたと報告している。神父と修道女らを含む800人以上の人々がルワンダ軍によって殺された。RCDはそれに対してバチカンがカビラを支援していると非難した。
ルワンダは国防情報局(DIA)の陸軍軍事心理作戦(PSYOPS)対応部員らが教えた認識促進管理作戦を実行し、外国人記者らを注意深く選ばれた殺戮現場に誘導した。死亡した市民は国外追放されたブルンジのフツ民兵であると説明された。不幸なことに国際社会では多くの者がルワンダで起こったツチ大虐殺について集団的罪悪感とでもいうものに苛まれ続けており、ルワンダの主張することは正当化できる以上に認められてしまうのだ。
国防省がいわゆる民営軍事請負会社(PMCs)に頼る度合いが増えていることは特に危惧されるべきことである。これらの軍事請負会社は以前それらがフランス、ベルギー、ポルトガルそして南アフリカなどの植民地大国によって対外政策の手段として使われていたときには米国政府から「傭兵」と呼ばれていたものだ。これらの会社は今日アフリカと関わる大規模な鉱業や石油企業のいくつかと密接な関係にある。PMCsは私有企業という立場から、議会調査委員の監査対象にならずに秘密活動に従事することが可能である。彼らが各国で行っているビジネスは商業機密として保護されるべものと言いさえすればよく、法律は今のところ彼らにとって有利に働いている。
中央アフリカの紛争で利益を得る
過去十年にわたるアメリカのアフリカ政策は内戦と民族紛争に支配された状況を安定化させようとするよりはむしろ不安定化に力を助成してきたように見える。前国務長官マデリーン・オルブライドは軍事力によって権力を掌握した後に文民のスーツに納まったアフリカの親米軍事指導者らをよく「希望の光」と呼んでいたものだ。
現実にはこれらの指導者たち、ウガンダ、ルワンダ、エチオピア、アンゴラ、エリトリア、ブルンデイ、そしてコンゴ民主共和国の現大統領たちは民族紛争や内戦の続く国を統治し、そこでは悪質な国際的鉱業会社らがそれらの争いを利用して己の懐を潤している。これらの会社に利益をもたらすのは紛争地からのダイアモンド、金、銅、プラチナその他の鉱物で、コンピューターマイクロチップとプリント配線板の主原料であるコロンバイト・タンタライト、いわゆる「コルタン」も含まれている。
この現代版「アフリカ分割」に参加しているいくつかの企業は民間軍事請負会社とアメリカ政界のトップと緊密な関係にある。アメリカ・ミネラル・フィールズ社を例に挙げると、この会社は1996年にカビラの権力掌握に力を貸し、コンゴの内戦に加担していた時期、本社はアーカンサス州ホープにあった。会社の大株主にはクリントン前大統領がまだアーカンサス州知事のころから長い付き合いのある者もいる。アメリカン・ミネラル・フィールズ社はラザレ・カプラン・インターナショナル社とも緊密な関係があると報じられているが、これは大手の国際ダイアモンド仲買会社で、その会長は過去から現在に至るまで米政権のアフリカ問題に側近として影響を与えてきた。
米国はコンゴ民主共和国の内戦においてこの国の資源を獲得するために、長期にわたって交戦する勢力のすべてに支援を与えてきた。バ・ンダウ報告書は米国の会社が1998年にローレン・カビラと彼の後ろ盾をしてきたルワンダとウガンダとの関係が破綻する以前に、いかにコンゴにおける大規模な盗みに加わっていたかを説得力のある例を挙げて示した。それはキガリの貿易開発産業銀行(BCDI)とニューヨークのシテイバンクとダイアモンド業界、そして反乱軍のすべてを結びつけるものだ。
この報告書によると、「バクワンガ鉱業社(MIBA)というコンゴのダイアモンド会社の総支配人J.P.モリッツの署名のある手紙でMIBA総支配人ンガンドウ・カメンダが3千500万米ドルをコンゴ輸出入商社(COMIEX)という後大統領となるローレン・カビラとビクター・ムポヨ大臣などの彼の側近が所有する会社に支払うことを指示している。この支払いは貿易開発産業銀行(BCDI)口座からシテイバンク口座に送金されるとあり、金額はコンゴ・ザイール解放民主勢力連合(AFDL)の戦争費用に当てるためバクワンガ鉱業社(MIBA)が出資したものである。」
アフリカで鉱業会社数社が民間軍事会社と繋がっているというのも懸念すべきことである。ペルー人の国連特別報告者エンリケ・バレステロスは2001年3月の国連人権委員会報告で、傭兵団がアフリカでの不法ダイアモンドと武器取引に密接に関わっていると述べた。彼は「傭兵らは両タイプの輸送に従事しており、ヘリコプターや航空機のパイロットであったり、即設の軍に武器の使い方を訓練し、物資を各地に移送するなどしている。」と延べ、また「アメリカのネバダ州やチャンネル諸島や、特に南アフリカに登記されている軍事安全保障会社と航空貨物輸送会社は軍隊、武器、軍需物資、そしてダイアモンドの輸送に従事している」と加えた。
1998年にアメリカ・ミネラル・フィールド社はインターナショナル・デイフェンス・アンド・セキュリテイー社(IDAS ベルギー 南ア)からアンゴラとコンゴ国境ぞいのクアンゴ・ヴァレーにあるダイアモンドの採掘権を買い取った。IDASはクラサオを拠点とし、ベルギーに本社を置く傭兵会社である。アメリカ・ミネラル・フィールド社の報道発表によると「1996年5月にアメリカ・ミネラル・フィールド社はIDASリソーシズN.V.(以下IDAS)とIDAS株主との間で契約を結んだ。その内容は、同社がIDASの普通株を75.5%取得することができ、それに伴ってIDASはアンゴラの国営鉱業会社エンデイアマと折半出費による合弁事業契約を結んだ。合弁事業資産はクアンゴ・ヴァレーにあるルアルモの3千7百キロメーターの採掘権とクアンゴ・インターナショナルと呼ばれる3万6千キロメートル四方の試掘鉱区であり、この北側は採掘権区と接している。これらの鉱区の合計はスイスと同じくらいの広さだ。」
アメリカ・ミネラル・フィールド社はアメリカが最初に行ったカビラへの秘密軍事及び諜報援助から直接利益を得たことになる。アメリカの初期のカビラに対する支援、それはアメリカの同盟国であるルワンダとウガンダによって幇助されたが、これはモブツ政権を失脚させることよりもコンゴの莫大な鉱物資源を北米を本拠地とするかその影響下にある鉱業会社に獲得させることを目的としていたと私は観ている。現在アメリカ・ミネラル・フィールドの責任者たちはシエラ・レオーネの紛争と、それによって国際マーケットで廉価の「血塗られたダイアモンド」が入手可能なことで利益を得ている。また、カナダの国連大使ロバート・フォウラーが長である委員会の調査結果によると、ルワンダはアンゴラのユニタ反政府勢力(UNITA)に対する国際禁輸措置を破って彼らがキガリで「ほとんど自由に」紛争ダイヤモンドを売ったり武器商人と取引することを可能にした。
ルワンダの支援を受け、コンゴでカビラ政権と戦っているコンゴ民主連合ゴマ派(RDC-Goma) の主要目的のひとつはカナダのバリック・ゴールド社の採鉱権を回復させることである。実際に反乱軍RCD政府の「鉱業大臣」は1999年初期にバッリック・ゴールドとの採掘協定を個別に結んでいる。バリック社の国際顧問委員会メンバーには前大統領ブッシュとクリントン大統領の側近ヴァーノン・ジョーダンがいる。
現在バリックとその他何十もの鉱業会社がコンゴ民主共和国における内戦の火を煽る手助けをしている。それぞれがこの国の事実上四つの政治勢力支配下圏に分割された状態から恩恵を受けている。まず最初に、ルワンダとウガンダの鉱物採掘者らはコンゴ東部で金とダイアモンドを略奪することに専念している。彼らはここのところコルタンへの関心を強めている。
私はブッシュ政権がウガンダとルワンダにコンゴから軍隊を撤退するよう圧力を掛け、コンゴの紛争解決に向けて積極的な手段を取ることを希望する。しかしブッシュ大統領がウオルター・カンステイナーをアフリカ問題国務次官補に選んだという事実はアフリカ大湖地域により多くの災難が待ち受けていることをむしろ暗示するものだ。
カンスタイナー氏の履歴書と発言を見れば彼がこの地域の恒久平和を望み、真剣に取り組むのかが疑問に思えてくるだろう。1996年10月15日にカンスタイナー氏が国際政策フォーラムのために書いた元東コンゴに関する論文は、アフリカ大湖地域の領土分割を提唱し、それは「主要な各民族による単一民族国家を作るために現在の国境を引き直すことが多分必要となり、大規模で(自発的な)移住が起こることは避けられないであろう」というものだ。カンスタイナーは、そのような徹底的な人口移動によりツチとフツそれぞれの国が作られることを予見している。思い出して欲しいのは、カンスタイナーがこの計画を書き記した同じ年1996年にルワンダが元ザイールを侵略したとき、ルワンダとウガンダ、そして彼らのアメリカ人軍事顧問は正にこの、ツチ国家をコンゴ東部に作ることを考えていたということだ。4年たった今でもカンスタイナーはまだコンゴ民主共和国の将来はいくつかの国家に分裂する「バルカン化」であると信じている。
2000年8月23日ピッツバーグポスト紙の記事でカンスタイナーは「コンゴ民主共和国の分裂は20年、30年前と比べると現在の方が起こる可能性がより高くなっている」と述べた。もちろんコンゴが事実上いくつかの支配地に分裂することは米国と他の西欧の鉱業会社にとって利益に繋がる。カンスタイナーが以前就いていた国防総省の戦略鉱物調査特別委員会の仕事が、その鉱物にはもちろんコルタンも含まれているであろうが、彼のコンゴ民主共和国の領土保全に対する過去現在の見方に影響を与えていると私は考える。つまるところ、現在知られているコルタンの世界埋蔵量のうち80%がコンゴ民主共和国東部にある。それは潜在的にこの地域が米軍にとってペルシャ湾地域と同じくらいの重要性を持つということだ。
ウガンダとルワンダの国境を越えたコンゴへの侵攻を支援した米軍と情報機関は平和活動のイニシアチブに抵抗し、ウガンダとルワンダそして彼らのコンゴにいる同盟軍が犯した戦争犯罪の証拠を出すことができないでいる。
米中央情報局(CIA), 国家安全保障局(NSA) そして国防情報局(DIA)は国際機関と米議会の調査委員に諜報活動によって得られた証拠を差し出すべきであり、殺戮された人々の集団埋葬地の位置とそれらの土地がいつ掘られたかを捉えた架空熱画像も含まれるべきである。特に重要なのは、NSAが第ウガンダのフォート・ポータルに通信傍受基地を持っており、第一次ルワンダ侵略時にザイールにおける軍と政府間の通信を傍受していたことだ。これらの傍受はルワンダとコンゴ・ザイール解放民主勢力連合が1996年の侵略時に無辜のフツ難民や他のコンゴ一般市民を殺戮した経緯を捉えているであろう。1994年から現在に至るまでの間にキガリの米大使館国防担当局員とキンシャサの米大使館員をしていたものは議会で真相をすべて知らしめる義務がある。
ルワンダの1996年第一次侵略以来のコンゴ民主共和国の死傷者数は、私の調査から推測して約170万人から200万人に上り、どう数えても恐るべきものである。そして、たとえ病期や飢餓が一因であったとしても、死亡者の大多数はルワンダ、ウガンダ、ブルンジ、コンゴ・ザイール解放民主勢力連合(AFDL-CZ), コンゴ民主連合(RCD)そして他国の軍隊と民兵組織が実際に犯した戦争犯罪によるものであろう。
まとめ
米議会は米国が中央アフリカでの大虐殺と内戦に果たした役割と、現在民間軍事請負会社がその他のアフリカの紛争地域、ナイジェリア、シエラレオーネ、赤道ギニア、アンゴラ、エチオピア、スーダンそしてカビンダなどで果たしている役割についての真剣なる調査分析を即刻始めるべきである。他の、アフリカにおいてあまり芳しくない業績を残してきた国々、例えばフランスやベルギーはアフリカの混乱に満ちた過去10年間に自国がそこで行ってきたことを吟味するにやぶさかではなかった。英国外務省は傭兵の活動規制に関する政策提言書の提出準備を進めている。
米国はアフリカに対し、世界の民主主義主導国家として自国の行いを批判的に分析するとはどういうことかを身をもってやって見せる義務が少なくともありはしないか。
本委員会の議長殿と委員の方々がこれらの公聴会を開くことに関心を示していただいたことを感謝する。ご清聴ありがとう。
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