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2012年12月29日土曜日

国連専門家グループ 2012年コンゴ最終レポート

今年11月15日にコンゴ民主共和国に関する専門家グループの最終報告書が提出されました。以下はその要旨(Executive Summary) を訳したものです。

http://www.un.org/sc/committees/1533/egroup.shtml

要旨

コンゴ民主共和国の東部では複数の国内外武装勢力による惨禍が続いている。

2012年前期に人民防衛国民会議(CNDP)の元メンバーらが反乱を起こし、その後3月23日運動(M23)を結成して以来この地域はさらに不安定化している。

反乱軍は2012年7月に外国からの広範な支援を受けて支配をルシュル地区にまで拡大した。そして非公式の停戦を利用して各地での同盟と司令代理作戦を拡大した。

ルワンダ政府は武器禁輸を破ってM23反乱軍に対する新兵徴募やコンゴ民主共和国軍からの脱走を奨励推進、また武器弾薬、諜報、政治的助言を与えるなど直接軍事援助を行い続けている。

M23の事実上の指揮系統はボスコ・ンタガンダ大佐を含み、ルワンダ国防大臣ジェームス・カバレベ大佐に至る。

中間報告書の補遺(S/2012/348/Add.1)公表に伴い当(国連専門家)グループはルワンダ政府と会見し、その文書による返答を考慮に入れたが、先の調査結果の変更を必要とするような実質的な要素はなかった。

ウガンダ政府高官もまたM23にコンゴ国境内での直接的な軍の増援、兵器の搬送、技術援助、共同計画、政治的助言、対外交渉の斡旋といった援助を与えている。

ウガンダ人民防衛軍とルアンダ国防軍は合同でM23が2012年7月にルシュル地区の主要な町とルマンガボのコンゴ軍基地を数回にわたって攻撃する援助をした。

両政府はまた協力してM23の政治部の設立と展開を支援し、一貫して反乱軍を擁護している。

M23とその同盟者には制裁対象となっている者が6人がおり、そのうちの数人はルワンダがウガンダに住んでいるか定期的にそれらの国を訪れている。

M23は正式な前線における戦闘の一時停止を利用してキヴ(3州)、イトリ地域、西カサイ州の各地で他の武装集団との同盟関係構築を進めた。スルタニ・マケンガ将軍はM23と同盟関係を結んだ武装集団との取りまとめ役として頭角を現した。

彼は8月と9月にライア・ムトンボキが民族的動機に基づく残虐な攻撃を仕掛けるよう命令した。マシシ地域のコンゴ・フツ人社会はその民兵がM23側につくことを拒否し、ライア・ムトンボキによって800の家が焼かれ市民数百人が殺された。

武装集団とりわけM23による少年兵の動員と徴兵が増えた。過去に子供を動員したことのある数人のM23司令官が数百人の少年少女の入隊と訓練を監督していた。その上M23の司令官の何人かは新兵と戦争捕虜の超法規的処刑をも命じている。

イトゥリのヘマとレンドゥ系武装集団と南キヴのバニヤムレンゲ団体と共同戦線を張ろうというM23の数々の試みは大きな抵抗にあった。コンゴ民主共和国政府はそのようなM23の同盟拡張の試みに対抗するべく主にイトゥリとマシシ地域の武装集団の統合過程を推し進めた。

ルワンダ開放民主軍(FDLR)は以前よりも人員が減り、市民に対する人権侵害を続けているが外部の支援からはさらに隔離されており、コンゴ軍とM23の同盟軍からの攻撃を受けて自衛に集中している。

FDLR の下級士官らはM23に対峙するコンゴ民主共和国政府側につくことを求め、コンゴ軍内の犯罪ネットワークも同時に少量の弾薬をその反逆者たちに売り続けている。しかしFDLRと政府が戦略上の協力をしているという証拠はない。

ブルンジの反政府グループのなかでは解放のための国民軍(FNL)が分裂状態のままであり地元のコンゴ武装集団に依存しているのに対しブルンジ革命国民戦線はムルンディ人民戦線へと変化して南キヴのM23と同盟を結んだ。

ウガンダ主導の民主軍連合は軍事力を増し、東アフリカのアル・シャバーブネットワークと連携している。

コンゴ軍は資源の支配と武装集団からの象牙密売を含む禁制品によって高官の収益を上げる犯罪ネットワークに蝕まれ続けている。

 地上部隊の司令官ガブリエル・アミシ大将は狩猟用銃弾を密猟者と武装集団に分配するネットワークを監督しており、ライア・ムトンボキもそのような武装集団のひとつである。武装解除と備蓄品管理はM23に関連した需要の増大によって効果が損なわれている。小型武器の市場価格が4倍に跳ね上がったからである。

コンゴ民主共和国政府は国連と経済協力開発機構のガイドラインに沿って鉱物輸出業者が適正調査を行う義務を負っているが、2011年にタグ付けが導入された北カタンガをのぞくコンゴ東部からのすべての錫、タンタル、タングステン輸出については、この履行がほとんど中止状態にある。ブルンディとルワンダ両国への密輸出が増加している。

ルワンダでの鉱物タグシステムはコンゴの鉱物が「洗浄」されるために、その信頼性は完全に損なわれてしまった。鉱業協同組合が恒常的にタグを売っているからである。貿易業者のいくつかはコンゴの鉱物のルワンダ密輸による利益を用いてM23の資金調達に貢献している。

キヴ(3州)での錫鉱石産出量は減少したのに対しタンタルとタングステン鉱石産出量は国際的な追跡可能性要求に対して抵抗力を見せてきた。これらの鉱物はより簡単に密輸出ができるからである。ルワンダのタンタルとタングステン輸出は2012年度にこれと対応する増加を見せ、錫の輸出は減少した。

全体的な価格と産出量の減少は採掘地帯の幾つかに社会経済的な悪化をもたらした。しかし鉱業地域の人々が他の経済分野に対応したことで新たな商業の機会が生み出された。主要な錫とタンタル採掘地域のほとんどで治安が改善され、それが紛争資金調達の減少と文民機関や非政府団体による管理と監視の強化につながった。
 
武装集団、コンゴ軍内の犯罪ネッワークと鉱物採掘者は適正調査義務が取引に影響しない状況下では簡単に金鉱に移行することができる。

コンゴ民主共和国東部で採掘された金は殆ど全てが国外に密輸され、カンパラとブジュンブラの大手貿易業者の数々が一年に数トン米数億ドル相当を船で出荷している。

コンゴの金のほとんどはアラブ首長国連合で精錬されて宝石商に売られる。安全保障理事会が課した資産凍結は制裁を受けたマチャンガ社の元経営者の運営を制限するものではない。この人物は他のトンネル会社数社を通して輸出し、多大な金額をコンゴ民主共和国の供給業者に送金している。

 

2012年3月31日土曜日

KONY2012はプロパガンダキャンペーン

KONY2012は一連の「戦争と派兵を売るための情報操作」の一つであり、ソーシャルメディアをたくみに使ったという以外は特に目新しいものではない。草の根のNGOを装い、正義感は強いがナイーブでアフリカをチャリテイーやアメリカが「救う」対象として見るような若者達を動員することに成功した。しかしこれは米軍をウガンダに送ることを「KONYを捕まえて国際刑事裁判所に引き渡す」という表向きの理由によって正当化しようというものだ。KONYが現在ウガンダにいないことなどは問題ではないのだろう。

ジャーナリストのキース・ハーモン・スノウによれば、KONY2012キャンペーンを行っているインビジブル・チルドレンという団体だけでなく、ENOUGH、STAND、RESOLVE、RAISE HOPE FOR CONGOといった非営利団体はすべてセンターフォーアメリカンプログレスというワシントンにあるシンクタンクから援助を受けるなどの関係を持っており、このシンクタンクは米諜報機関と深いつながりがある。ENOUGHは俳優ジョージ・クルーニーが関わっていることで有名な団体だが、その設立者ジョン・プレンダーガストも以前諜報機関に属していた人物だとハーモン・スノウは述べている。

米国の援助を受けていたアンゴラの反政府軍リーダー、ジョナス・サビンビが米国がMPLA政府側援助に乗り換えた直後にあっさりと殺害されたように、米国諜報機関がKONYを見つけて殺害しようと思えば数日を要さないであろう。それをしないのは彼のような「極悪非道」な人物が米軍派遣やウガンダ政府への軍事援助の理由として必要だからだ、というのがハーモン・スノウの見方だ。

興味のある方はインタビューをご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=vO9HL99itSU

2012年2月16日木曜日

カトゥンバ・ムワンケの死

4日前(2月12日)にジョセフ・カビラ大統領の右腕といわれたカタンガ州の政治家オーガスティン・カトゥンバ・ムワンケ氏が飛行機墜落事故によって死亡した。ムワンケはもとカタンガ州の知事(1998~2001)であり、カビラ政権の影の実力者であった。カビラとの関係をブッシュ政権時代のチェニー副大統領とのそれにたとえる者もいる。つまり大統領以上に実質的な権力を握っていたと言うことだ。

カタンガ州知事であったムワンケはジョセフ・カビラが2001年に政権の座に付く以前に軍司令官であったころから親交があり、政権発足時に国営企業大臣に起用されたが2002年の国連専門家パネル報告書でコンゴ資源の不法搾取によって利益を得たことを指摘されてから一時的に政権から退いていた。

しかしその後もコンゴの大規模な鉱業契約や外交政策に多大な影響力を持ち、自身もカタンガ州ディクルーシ鉱区で胴と銀を採掘していたオーストラリアのアンヴィル鉱業会社の取締役会に名を連ねていた。この鉱区からは世界でも有数の純度の高い鉱石が採掘され、西オーストラリア・パースに基盤を持ち設立当時の株価が5セントであったこの会社を時価総額1億ドルの大会社へと成長させた。ディクルーシ鉱区はピーク時に毎日50万ドル相当の鉱石を運び出していた。

ADASHOというルブンバシのNGOスポークスマンはアンヴィル社が採掘に関して政府から税控除を受けており、その優遇措置はムワンケの後ろ盾によるものだと指摘した。ムワンケ自身はアンヴィル鉱業社とのそのような関係を一切否定していた。

大規模な鉱業関係の取引と交渉のすべては彼を通して行われていたともいわれている。ムワンケのコンゴ鉱業界での実力を示す最近の例としては2008年に中国とのインフラ整備と鉱物生産プロジェクトをパッケージにした60億ドル融資契約を結んだことである。

彼の死は権力の真空状態とカビラ政権の不安定化をもたらすであろう。

(アンヴィル鉱業社についてはMatthew Benns 著 Dirty Money, 2011 Chapter 1: Death in the Congo を参考にしました。)