以下は、2015年12月26日にグローバル・リサーチに掲載された、ドクター・クリストフ・リーマン(Dr. Christof Lehmann)の Syrian Air Strike Kills Commander Behind 2013 Chemical Weapons Terror Attack in Ghouta を訳したものです。(アクセス:2015年12月28日)
*投稿タイトルは題名の訳
ジャイシュ・アル・イスラム同盟の指揮官、ザハラン・アッルーシュがダマスカスの郊外で殺害された。2013年8月21日にダマスカスの郊外、東グータでの化学兵器攻撃開始を命令した、サウジ諜報機関の内通者アッルーシュは、当時リワ・アル・イスラムを指揮していた。ザハラン・アッルーシュは1980年代から、サウジ諜報機関に雇用されていた。
シリア軍の中央司令部は、ダマスカスの郊外、オタヤで空爆を開始し、聖戦主義指揮官らを標的にして殺害することに成功したことを確認した。その一人がジャイシュ・アル・イスラムのリーダー、ザハラン・アルーシュであった。ジャイシュ・アル・イスラムは、リワ・アル・イスラムを含む、いくつかの聖戦主義武装団の連合である。ジャイシュ・アル・イスラムは、シリアでのアルカイダ組織であるヌスラ戦線と同盟関係にある。
2013年のNSNBCインターナショナルによる綿密な調査では、ザハラン・アッルーシュが2013年8月21日の東ゴータでの化学兵器攻撃を、直接命令した人物だと結論した。この調査はまた、アッルーシュの判断の指揮責任は直接、米国の統合参謀本部長、ホワイトハウス、そしてサウジ政府に繋がると結論している。
ザハラン・アッルーシュ、リワ・アル・イスラムそしてサウジ諜報機関は、シリアの化学兵器廃棄を、化学兵器輸送に攻撃を仕掛けることによって妨害する試みでも中心的な役割を果たした。これらの輸送に関する情報は極秘情報になっていたことから、シリア政府は、サウジ諜報機関がリワ・アル・イスラムに情報提供したという結論に達した。
ザハラン・アルーシュは1990年代からシリアでの、サラフィスト・ワッハビ派テロリストネットワークに関係しており、それによってシリア諜報機関に逮捕された。彼は、2011年の初期にアサド政権が大赦を行ったときに釈放された。2011年3月に刑務所から釈放された直後から、アッルーシュはサウジ諜報機関から相当な資金と武器を受け取り始め、それによってリワ・アル・イスラムを、サウジ内務省の主導下に、実質的なサウジアラビア出資による傭兵旅団として創設することができた。
サウジ諜報機関の内通者アッルーシュとリワ・アル・イスラムはまた、カタールとトルコに主に支援されていた自由シリア軍(FSA) と、その他のカタールが支援する反乱勢力の崩壊に決定的な役割を担った。例えば、2013年にダマスカスのジョバール地区でのシリア・アラブ軍との主要な戦闘時に、アッルーシュは、カタールに後援されているファースト・ブリゲードとリワ・ジャイシュ・アル・ムスリミーンに、急に撤退することを告げずに彼のリワ・アル・イスラム軍団を撤退させた。これらの両旅団は、シリア軍に文字どおり一掃された。
ザハラン・アッルーシュを根絶した空爆はまた、主要な野戦指揮官も根絶させた。彼は、シリアの戦域での、ムスリム同砲団と連携する反乱勢力の優位を、アルカーイダと連携する反乱勢力に移行させた人物である。これは、ヌスラ戦線、ジャイシュ・アル・イスラム、リワ・アル・イスラム、そして究極的には、自己宣言したイスラム国、別の名をISIL, ISIS、またはダーイシュらの優位性ということだ。
ドクター・クリストフ・リーマンはnsnbcの創設者で編集者である。
本文のオリジナルはnsnbc international に最初に掲載された。
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