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2015年8月25日火曜日

斬首されたシリアの学者はISISテロリストをパルミラの古文化財の隠し場所に連れて行くことを拒んだ

以下の文はグローバルリサーチに8月20日に掲載されたもので、原文はレバント研究学会に19日に掲載されたカリーム・シャリーンとイアン・ブラックによる  Beheaded Syrian Scholar Refused to Lead ISIS Terrorists to Hidden Palmyra Antiquities を訳したものです。(アクセスは2015年8月21日)

カーレド・アル=アサード氏(82歳)はこの古代都市パルミラで殺害されるまでの一ヶ月間、過激派から尋問を受けていた。

イスラム国(IS)過激派は高名な古代文化財学者をシリアの古代都市パルミラで斬首し、この史跡の主要な広場の柱に切断された体を吊るした。貴重な古代芸術・工芸品を保管のためにどこに移動したかを明かすことを拒んだためと見られる。


カーレド・アル=アサード(82)の惨殺は、シリアと隣国イラクの三分の一を占拠し、支配下の地域で「カリフ国」を宣言したこのジハードグループが行ってきた残虐行為の最新のものである。この事件はまた、ISISが古代文化財を破壊すると同時に活動の資金を得るために略奪したものを常習的に売っていることを浮き彫りにした。

シリア(文化省)古文化財局長のマーモウン・アブドゥルカリム氏は、パルミラの古文化財長として50年以上働いてきた学者が火曜日にISISによって殺されたとをアサード氏の家族から知らされたと述べた。アサード氏は殺害される前の一ヶ月間囚われの身となっていた。アラブ・英国理解協会長のクリス・ドイル氏はシリアの情報筋から、この考古学者がISISにパルミラの秘宝の在り処について尋問されており、協力を拒んだために処刑されたことを知らされた、と述べた。

ISISはこの古代都市を政府軍から5月に奪った。古代美術・工芸品を偶像崇拝として破壊することで知られているが、巨大なローマ時代の遺跡が破壊されたという情報は入っていない。

「この地とその歴史にこれだけの偉業を残した学者が斬首され、その亡骸がパルミラの広場の中央の古代円柱の一つに今でも吊られていることを想像してみたまえ、」とアブドゥルカリム氏は述べた。「これらの犯罪者がこの都市に居続けることは(パルミラ)と、その全ての円柱と全ての遺跡の一片にとって呪であり凶兆だ。」
パルミラを拠点とする活動家たちはアサード氏の斬首された身体がこの町の通りの柱にくくり付けられている未証明の惨たらしい映像をソーシャルメデイアで回覧させた。その身体の前に置かれた板には、彼のシリア大統領バシャール・アル=アサドへの忠誠や、政権の諜報と治安当局高官と連絡を取り続けていること、そしてパルミラの「偶像」コレクションの管理をしていたことを非難する罪状が記されていた。

イスラムの厳格な解釈に従うISISはこのような古代の像を維持することを背教行為とみなす。シリア国営通信社SANAと英国に本拠地を置くシリア人権監視団によれば、アサード氏は火曜日に町の博物館の外の広場で数十人の目前で斬首された。そして亡骸はパルミラの遺跡のローマ円柱のひとつに吊るされた。

アマール・アル=アズム氏はシリアの科学と保全研究所を管理してしていた元シリア古文化財局員でありアサード氏とは個人的な知り合いであった。彼はアサード氏を評して、パルミラの初期の発掘と各部分の修復に従事した「掛替えのない」学者と述べた。「カーレッド・アサードのことを語らずしてパルミラの歴史や研究について書くことができないほど必要不可欠な人物だった。」「それはエジプト学がハワード・カーター抜きには語れないのと同じことだ」とアズム氏は述べた。そしてまた、

「彼はこの地についての膨大な知識の宝庫であって、それが失われたことが惜しまれる。彼はこの遺跡の隅から隅まですべてを知っていた。このような知識は掛替えのないもので、ただ本を買ってきて読めば身につくようなものではない。そのような知識は、それを身をもって生きて密接な関与をしてきたことのみによって得られる個人的な特質を持っている。それが永久に失われてしまった。我々にはもうそれを持つことはできないのだ。」と付け加えた。

この都市がISISに征服される前にシリア当局者は過激派に破壊されることを恐れて何百もの古代の彫像を安全な場所に移した。ISISは持ち運びができて簡単に売ることができる未登録の物品を探すであろうと思われた。ISISが支配する前にアサード氏は博物館にあったものを避難させる役割を担ったので逮捕されるのは確実だったとアズム氏は述べた。「彼はパルミラにずっと長い間いてずっとその一部でありつづけていたから、一生を過ごした場所で最後を迎えることを彼は多分わかっていたのではないか。そしてそれが不幸なことに現実となってしまった。」「惨いことだ。」

歴史家のトム・ホランド氏は、この悲報は遺憾であり、

「古代世界の研究に興味を持つ者すべてにとって、博物館で古代文化財の展示を監督したり、考古学の国際会議に出席することが死刑に値するというイデオロギーを信奉するものがいると気づかされるのはショック以上のものだ。」と述べた。


パルミラは古代、シルクロードの重要な貿易中継地として繁栄した。アサード氏は過去数十年間にわたって米国、フランス、ドイツ、スイスの考古学派遣団と共にローマの墓地とベル神殿を含むユネスコ世界遺産パルミラの有名な2000年の遺跡の発掘と調査をしていた。

SANA通信社はアサード氏がパルミラ博物館の庭でいくつかの古代共同墓地、洞窟そしてビザンチンの墓地を発見したと述べた。彼はまた、7世紀にイスラムが台頭する前に、この地域で共通語として使われていたアラム語学者でもあった。

「アル=アサードはシリアと世界にとって大切な存在だった、」と彼の義理の息子カリール・ハリリ氏はAP通信に語った。「なぜ彼らはアサードを殺したんだ。」「彼らは組織的な作戦で我々を先史時代に連れ戻そうとしているが、それが成功することはない。」

6月にISISはパルミラのふたつの古代神殿を爆破した。これらはローマ時代の建造物ではなかったが、過激派は多神教で神を冒涜するものとした。7月初旬にISISは25人の捕らえられたシリア政府兵士らの円形劇場での殺害が写されたビデオを発表した。ユネスコは先月、略奪が「工業規模」で行われていることに警鐘を鳴らした。ISISはイラクの二ムロッドなどの遺跡破壊を宣伝するが古文化財を略奪して活動資金にあてていることについてはほとんど語らない。

盗まれた古文化財は、このグループの数百万ドルほどと見られている収入のうち、石油の密売と直接税、恐喝とともに顕著な比重をしめている。ISISは2014年までにすでに存在していた幾つかの武装グループ、個人、シリア政権による不法発掘と略奪行為を乗っ取った、と考古学専門家らは述べている。ISISは初め発掘をする「許可」を与えたものに20パーセントの税を課していたが、後で自分たち自身の考古学者、発掘団、機械を調達し始めた。米国率いる同盟国が油田や他の標的を爆撃し始めたときに、ISISは盗掘により投資をし、許可なしに略奪することに対する罰を科した。


2015年7月30日木曜日

米国がシリアとイラクのISIS勃興をどのように煽ったか、事実がついに露呈

以下はガーデイアン(電子版)に2015年6月4日(木)に掲載されたシューマス・ミルンの記事 
'Now the truth emerges: how the US fuelled the rise of Isis in Syria and Iraq' Seumas Milne 4 June 2015
を訳したものです。(アクセス 2015年7月27日)(タイトル訳:投稿題名)
 

この宗教派閥テロ集団は、もともとそれを生み出した西欧諸国によって打ち負かされることはない。




検察側は告訴を放棄したが、これは諜報局を困惑させるのを避ける為であったようだ。英国自体がそのシリアの反政府武装勢力に「広範囲な支援」をしている証拠が山ほどあるのに、この裁判を推し進めることは「正義からの乖離」となるであろうと弁護士は主張した。

それらの支援は政府が誇る「非致死性援助」(防護服や軍用車両を含む)だけでなく、訓練、後方支援そして極秘の「大量の武器」供給をも含む。2012年にガダフィ政権が崩壊した後に、リビアの貯蔵武器をシリアの反乱勢力に移動する「秘密経路」でMI6がCIAと協力していたという報告が引用された。自国の大臣や安全保障当局者自身がやっていることをした罪で誰かを刑務所に送ることのばかばかしさに耐えられなくなったことは明白だ。しかしこれは一連の似たような件の一番最近のものであるに過ぎない。

より運が悪かったのは、この件よりも2週間前に、2007年に英米軍のイラク占領に対する抵抗運動参加したという罪で終身刑を言い渡されたアニス・サルダールというロンドンのタクシードライバーだ。不法な侵略と占領に対する武装反抗がジュネーブ条約などの殆どの定義でテロリズムと殺人に該当しないことは明らかだ。しかしテロリズムは今や全く見る人次第だ。そして中東ほどそれが顕著である場所はない。今日のテロリストは明日の独裁に対する戦士に、そして同盟から敵へ、欧米の政策立案者の電話会議での唖然とするような思いつきに左右されることが多い。

この一年間、米国、英国その他の西欧諸国軍は過激宗派主義テログループ「イスラム国」(以前はイラクのアル=カイダとして知られていた)を破壊する目的を掲げてイラクに戻っている。これはISISがイラクとシリアの領土の広大な領域を制圧し、自称イスラム・カリフを宣言してからだ。しかしこの軍事作戦はうまくいっていない。先月ISISはイラクの都市ラマディになだれ込み、同時に今や存在しない国境の向こう側でシリアの町パルミラを征服した。アル=カイダの公式フランチャイズであるヌスラ戦線もシリアで勢力を増長している。

何人かのイラク人は米国がこれらが起こっているときに何をする気もなかったと不満を述べた。アメリカ人たちは、彼らは一般市民に死傷者を出すことを避けようとしており、顕著な効果があったと主張した。内輪では、当局者たちは宗派間の戦争でスンニ派の拠点を攻撃していると見られることによって湾岸のスンニ派同盟諸国を怒らせるリスクを負いたくないと言っていた。

何故このようになったかが最近機密解除された2012年8月に書かれた秘密諜報レポートによって明るみになった。このレポートは「サラフィスト統治国」が東シリアに、そしてアル=カイダが支配するイスラム国家がシリアとイラクに興る可能性を不気味にも予測しており、それを実質的に歓迎している。当時欧米が主張していたこととは全く異なり、この国防情報局の文書はイラクのアル=カイダ(後にISISとなる)とその仲間のサラフィストが「シリアでの反政府暴動の主動力」として挙げられている。そして「西欧諸国と湾岸諸国、そしてトルコ」が反政府勢力がシリア東部を制圧する動きを支援していると記している。

その国防総省のレポートはさらに、「宣言された、または宣言なしのサラフィスト統治国が打ち立てられる可能性」について提起し、「これこそが正に反対勢力の支援諸国がシーア派拡張(イラクとイラン)の戦略的深層と見なされるシリア政権を孤立させるために望むことである」と続けた。

これは2年後に起こったことと完全に一致している。このレポートは政策文書ではない。かなりの部分が編集されており、言葉も曖昧なところがいくつかあるが、その意味するところは十分にはっきりしている。シリアの反乱が一年経ったころ、米国とその同盟国らは過激な宗派グループに支配されていることがわかっている反対派勢力を支援し、武器を与えていただけでなく、シリアを弱体化させるためのスンニ派の緩衝地帯として、ある種の「イスラム国」設立を容認する用意があったということだ。それがイラクの統一に「重大な危機」をもたらすにもかかわらずである。

このことは米国がISISを創設したという意味ではもちろんないが、副大統領のジョー・バイデンも昨年認めたように、湾岸の同盟諸国が役割を果たしたことは確実だ。しかし、米国と英国が侵攻するまでイラクにアル=カイダは存在していなかった。そして米国は欧米の支配を保つためのより広範な活動の一環としてこの地域でのISISの他の勢力に対峙する存在を悪用したのは確かだ。

この計算はISISが西欧人を斬首し残虐行為をインターネット上に投稿し始め、そして湾岸諸国がシリア戦争においてヌスラ戦線などの別のグループを支援することになったことで変わった。しかし、このように米国と西洋諸国が聖戦主義グループを常用し、それが後で災いとなって戻ってくるパターンは少なくとも1980年代のアフガニスタンでの対ソ連戦争までさかのぼる。このときアル=カイダの原型がCIAの指導のもとに発展した。これはイラク占領下でぺトレイアス大将率いる米軍が、イラクの抵抗を弱めるためにエル・サルバドル型の派閥暗殺部隊による汚い戦争を後援したときに再調整された。そして2011年のNATO主導のリビアでの戦争でも再現された。ここでは先週ガダフィの故郷であるシルテをISISが掌握した。

実際、米国と西欧の現在災禍にある中東での政策は典型的な帝国の分断統治の形である。アメリカ軍はシリアで一組の反乱軍を爆撃すると同時に別の反乱軍を支援し、イラクではイランとISISに対する実質的な共同軍事作戦を行い、イエメンではイランに後援されているホーシ勢力に対するサウジアラビアの軍事作戦を支援している。たとえ米国の政策が往々にして混乱しているとしても、弱体化し、分割されたイラクとシリアは、このようなやり方に完全に一致しているのだ。

ここで明らかなのは、ISISとその怪物たちは彼らをイラクとシリアに最初にもたらし、また、それ以来公の、または極秘の戦争を起こしてISISを増長させてきたその同じ列強国によって打ち負かされることはないということだ。西欧の終わりのない中東への軍事介入は破壊と分断のみをもたらした。この病を癒すことができるのは、この地域に住む人々であって、そのウィルスを培養した者ではない。